なぜお正月に椎名林檎を聴きたくなるのか

あけましておめでとうございます。

 

大晦日は夜更かししてもいい。夕食中にジュース飲んでいい。

すき焼きを食べる。そばを食べる。紅白歌合戦

年が明けた瞬間、母と手を叩き合う。寝てる家族に叱られる。

夜中は手帳を開き、これから始まる1年のことを考えてみる。

朝はちょっとゆっくり寝ててもいい…

これらは毎年の定番。

 

こうした大晦日→元日は振り返ってみるとなんだか

テンプレートの塊的過ごし方をしている。

 

もうひとつ定番なのが、年が明けたら自室に引き上げて

まず聴く音楽は椎名林檎と決めている。

中学生になってからいつもそうだ。

 

年末年始はゆっくりすることに縁起の良さがあるなんて言う。

年が明けてしまってからは何かとあまりゆっくりする習慣はないけれど

それに則って大晦日の夜、いつになく特に何もせず

紅白歌合戦を観ているとちょっともてあます。

 

定番は安心だ。「これさえしていれば大丈夫」と、行動が思考の邪魔をしない。

 

椎名林檎を聴いたのは6年前の元日、父の車の中でだった。

なんだか初めて聴いたような気がしなかったのは

デビューしたてのころの曲だったから。

私もまだ小さかった当時、同じように車で聴いていたらしい。

曲調も歌声も奔放な感じがして、勝手に私の中で自由の象徴になった。

 

それからテンプレートの塊日を過ごす際は自由の象徴を聴いて

バランスをとるようになったのかもしれない。

 

それでも今年の締めがすき焼きではなかったこと、

リビングのテレビはもう叩かないとつかなくなりつつあることから

ちょっとひとひねりある年末年始を過ごしてみた。

 

年が明けたらさっさと眠りについてみる。

暮れてから外出。顔が凍るほど風は冷たかったけど楽しかった。

 

今までの私からしてみれば「思うままに過ごす1日」であった。

定番の予定もなんとなく過ごさずに色々思いながら過ごしてみた。

 

今年の目標をじっくり立てることもなくさっさと眠ってしまったが

思うままに過ごしてみることで反省がわんさか出てきた。

学校に通って机に向かう習慣ができると

何かしながら考えるより、机に向かって考える時間を確保するほうが

考えが深まるということも習慣になってしまっていた。

何かしながら考えることが苦手になっていて、不便だと思ったので

今年は場所と時を選ばず考えられるようになろうと思っていたから

いいトレーニングになった。

 

他には聞き上手になること、もう少し気の利く人になること…

ぽんぽんと足りないことが浮かんできて年始からちょっと落ち込む。

 

定番があるからこそ、ひとひねりが面白い。

昨日はひとひねりを自分で取り入れてみたけれど

日々を過ごしていると歓迎されないひとひねりも登場する。

うまくいかないことや、想定外の物事が起こるとき。

今年はそうしたひとひねりを愉しむ余裕が出来る人になりたい。

 

ひとひねることでバランスが保てても、やっぱり椎名林檎を聴く。

なぜ、にこたえられないことがあるのも面白い。

 

今年の年末は「面白かったー」と言って終わりたい。