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今年中に叶えたい99のこと

よくばりだねぇと話をするたびに人に言われてしまう。

1月2日の夜、場所はスタバ。「2015夢リスト」と題し

今年叶えたい夢を100個手帳に書いてみた。

 

厳密にいうと昨年を過ごす中で「来年はこうしたい」というものを

いくつかあげたり、元日から別のノートに下書きしたりはしていた。

手帳に書きうつす理由は、毎日眺めたいからだ。

 

そして1月5日現在、既にひとつ叶っている。

「No.34 ベイマックスを観る」

泣けるよと先に観てきた友人から聞かされていたが、

やっぱり泣けた。よい泣き初めだった。

アナと雪の女王は様々な雪の種類が映像で表現されていたけれど

ベイマックスはロボットの迫力や、舞台となった

サンフランシスコと東京が融合した街に目をみはった。

そういう意味でも大きなスクリーンがある映画館で観るのは楽しい。

 

年末に読んでいた森博嗣著「つぶやきのクリーム」に

「正義の味方なんてものはどうでも良いが、正義の見方は重要だと思う。」

という言葉があった。

物語に登場する正義の味方は結局正義と愛をはき違えがちだ、と

いうようなことを森博嗣さんは指摘していた。

本を読んでから正義って難しい、この理論を打破できる物語は

そうそうないんじゃないかと私は思っていた。

ベイマックスはこの理論と戦っている気がした。

まだ日本では公開されたばかりの映画なので詳しいことは言えないけれど

泣ける、だけで終わらせることのできない深くてやさしい映画であった。

 

「そんなにぽんぽんと叶いそうなことばかり書くなんて、

夢リストじゃなくて予定表じゃん」と言われる。

確かにそう思われるだろう。しかしそこがこの夢リストのミソなのだ。

 

予定っぽいものもあれば、「それほんとに実現するの?」

というものまで書いてある。両者に共通するのが

「書いていてわくわくする」という感覚だ。

 

求めよ、さらば与えられん? - 謎の国のありす

 

例年夢リストのようなものを手帳に書いてきているので、

今年はその反省を生かして「わくわく」にこだわった。

書いて嬉しい、叶って嬉しい予定表だ。

 

そしてこの夢リストは人に見せない。

Instagramにはぼやかして載せてみたけれど、字は読めないようになっている。

最近会っていない誰誰に会いたい、なんかも書いてある。

誰かと一緒に叶えたいような夢もいくつかある。

教えていないほうが叶ったときに嬉しいからだ。

 

昨年春に友人と卒業旅行に行った。

早朝、新幹線と電車を乗り継いで鎌倉へ。夜は中華街、

ディズニーのホテルに泊まって翌日はディズニーシーで一日遊ぶというプラン。

こんなよくばりな旅が叶ったのも、友人と一緒だったから。

手分けしてホテルを手配したりチケットを買ったりする過程も楽しかった。

中華街のきらめく看板たちを眺めながら、

ホテルでアイスを食べながら、

「好きな人たちと門限も気にしないで思いっきり楽しめるなんて最高ー」

なんてにんまりしていたことを思い出す。

「誰かと一緒なら、叶えるのは難しいと思ってしまう夢は

単なる予定に変わっちゃうんだな」とその時思った。

 

誰かと一緒じゃなくても、単なる予定に変える方法がある。

その方法で叶えられる夢もいくつか書いた。

少し計画性や努力、お金が必要なものたちではある。

でも漠然と願うだけよりも書くことで具体性がわいてくる。

具体性がわくと目の前のことに集中できる。

 

叶えるための具体的なステップが思い浮かばないものもある。

そういうものこそ叶ったときに嬉しいものだ。

 

夢リストは叶えるためだけに書くものではない。

一年の初めに今の自分と過去の自分、未来の自分をリンクさせて

見つめなおすきっかけになるものだ。

 

手帳に記した夢リストと共に過ごす一年が楽しみだ。