眉と目の間に前髪の正解はあるか?

ただいま絶賛テスト期間中である。

しかしもう残すところあと4・5教科となり、今日は久しぶりに気持ちの穏やかな夜が訪れた。awfulな一週間だった。なんだか教育に悪そうな音楽を流しながら登校したり、眠気を浴室から部屋に引きずり込んでは朝まで目を覚まさなかったりした。

 

なぜこのようなawfulっぷりが発揮されたのか。原因としては数年ぶりに経験した「伸びかけ前髪の鬱陶しさ」が何割かを占めると考える。そこで昨日前髪をカットしてきた。

 

そして、オン眉になったのである。

 

以前はオン眉には全然理解がなかった。前髪といえば目の少し上まで伸びているものだと思ったし、ちょっと昔っぽいものとして捉えていた。髪が短かった頃は実際に自分で前髪を切った時、切りすぎて失敗したと思った。80sぽくて気に入っていたおかっぱが、前髪のせいで40sか30sにタイムスリップしてしまっていた。

 

しかしオン眉が似合う友人に出会い太眉の流行が定着してくるにつれ、依然抱いていたオン眉へのマイナスイメージはなくなっていった。実際に眉上に前髪が完結していると視界がひらけて気分がいい。(といっても実はまた、少し切りすぎてしまったのだが)

 

流行について考える。

 

ファッション雑誌を買っていなくても、街に出て道行く人を眺めお店のマネキンを見れば流行を知ることが出来る。面白いのがはじめは「今こんなのが流行ってるんだ…なんかへんなの」と違和感を感じていても、何度も目にするうちに「いいかも」と思えるようになってしまうところ。単純接触の原理がそうさせるのかもしれない。それから雑誌を開いて面白いと思ったのは、男性から見て女性の流行についてどう思うかという記事だった。女性の間で「かわいい」と常識になっているものでも、「スタイルが悪く見える」「あの色ののせかたはケバい」などと容赦ないめった斬りだ。

 

話は少し戻るけれど、私は口コミや流行、新しいものに対して違和感を超えて「こういうものもある」と受け入れて暮らしていく。ものだけでなく人付き合いだってそうだと思う。相手の考え方や価値観に疑問を持ったら、否定するより新しく貴重な意見として「こういう考え方もある」と受け入れたいものだ。

 

こうしてスポンジのように吸収していって視野は広がる。選択肢や寛容さも育っていく。いいこと尽くしだと思っていたのだが、最近正解だと思っていることについてとことん懐疑し、間違いを見つけたり新たな提案をする経験をしていくうちにスポンジに限界を感じた。

 

正解が分からなくなったのだ。あれもおいしい、これもおいしいと思って欲張っていると食べ放題が過ぎてしゃっくりが止まらなくなってしまう。同じように、もともとどんなことが好きだったか、なにが正しいと考えて生きてきたのかが埋もれていく。

 

新しく感じたことを尊重するのは果たして成長ととらえるか今迄への裏切りととらえるかでイメージは変わる。私はどちらもありだと思う。

 

ただ、これからも口コミや新しく感じたことを肯定し吸収していく癖は続いていくと思う。ただ、そういう仕組みで私は暮らしているんだということが理解できたから、正解を見失って惑わされることは少なくなっていくと思う。

 

懐疑と肯定、どちらも必要なんだな。

 

ちなみにawfulな一週間でも楽しいことはたくさんあった。つらかったことより嬉しかったことを数える、思い出す、小さな幸せを見つけ出していく…この積み重ねで毎日はもっと楽しくなる、という考え方を知ってからは今この瞬間にも生かせている。スポンジのように吸収する癖を持っていてよかったことの一例である。