私の好きな物語は理想で、現実はミステリーで

ぽかぽか陽気のなか、そろそろ自転車に乗って出かけられそうだと思うのだが、まだ私の中で冬季が引き連れてきたものぐさがまさってバスに乗っている。雪が降っているわけじゃないんだからそろそろ自転車使いなよ、と良心がかすかな罪悪感を生む。

 

その罪悪感を和らげるためというのもあるかもしれないけれど、バスの中で私は相変わらず見慣れた景色を横目に本を読んでいる。

 

氷を湯の中にひとつ落としてまわりから溶かしていくように、気が付かないうちに凝り固まった心を癒してくれる瞬間がいくつかある。そのひとつが、小説を読んでいるときだ。それも、とびっきり心を震わせてくれそうなもの、あたたかい気持ちになれるものを選ぶ。だから迷ってしまう気がして、やっぱり未だにミステリー小説の世界には踏み込んでいかれないのだ。

 

だけど私は知っている。私が好きな小説がえがく物語は結末がしっかりとあって、そのためには途中にある困難さえよかったと思えるものである、と。それは理想と似ている。

 

私の好きな小説が理想なら、ミステリーは人生そのものなんだと思う。

 

思えば今まわりにあるもの、知っていること、あたり前のことを無くて、知らなくて、あたり前じゃなかった頃があった。前者と後者をつなぐ間の日々が、私の人生を紡いでいくのだ。そしてそれは逆再生さえしなければ、ミステリーに似ている。

 

物語は終わる、結末が決まっているんだと知っていれば、構えていられる。悪く言えば考えなくてもいいのだ。日常から切り離されて、バスが走って目の端を流れていく景色の断片を残しながら追いかける物語は、そういう意味で私に安心感をくれるのだ。

 

春は夜明けのように新しさをイメージさせられる。新しさは、けして保障されたものではない。だから、時折不安がよぎるものなんだと思う。そして私はまた、私が好きな小説に力をもらうことでミステリーから逃げたくなるのかもしれない。でも、考えることも好きだ。ミステリーのような人生を、行間ほど味わって、きちんと暮らしていきたいと思う。

 

新年の幕開けと同じく、こうして理想を掲げられるチャンスが春にはある。