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20歳の誕生日に私に贈りたいもの

招待状が届いた。

 

もう一週間も前の話になってしまうけれど、大学の研究室の歓迎会があった。歓迎会としてホームパーティーを開いてくださった先生がくださった歓迎会のお知らせは、会場へのアクセス方法の記述がなんだか粋なものだった。

 

「手押し式信号」(と記述されていて何だろうと思ったが、押しボタン式の信号のことだった)、目印となるおしゃれな名前のお店…なんだか全く知らない土地が思い浮かぶような書き方だった。

 

頭の中に全く知らない土地を思い浮かべてしまいすぎて開始ぎりぎりの到着になってしまった。歓迎会はとても楽しいものだった。私もいつかホームパーティーを開き、こころよくゲストを迎え、美味しい料理やあたたかい空間を共有出来るような大人になりたいものだと思った。

 

さて、先生がくださった招待状を見ていてある本が思い浮かんだ。

 

「文体練習」/レーモン・クノー

 

文体練習

文体練習

 

 

物語の書き方としてside-Aとside-Bのどちらも揃うことが好まれる風潮があると感じている。

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

それに対して私はこの記事内で

 Side-AとSide-Bに分かれている。

このように視点が分かれている作品は多いけれど、

なんだか補助器具を付けて逆上がりに成功したときのことを思い出す。

双方の気持ちが別々に描かれはっきりすると逆に煮え切らない。

 なんて言っていた。

 

しかしやっぱり一方の物語だけをいくつも知ることよりも、双方向から事情をすり合わせ、より狭い範囲で起こる物語を知ることは、それはそれでひとつの物語に深みを増すことが出来る点で素晴らしいのかもしれない。

 

と、「文体練習」はそう思わせてくれる本なのだ。

あらすじをAmazonのページから引用させていただく。

 他愛もないひとつの出来事が、99通りものヴァリエーションによって変幻自在に書き分けられてゆく。20世紀フランス文学の急進的な革命を率いたクノーによる究極の言語遊戯が遂に完全翻訳された。前人未到のことば遊び。

 ある時は新聞記事風に、ある時は子供にむかし話をするように、ひとつの出来事が違う言葉たちを纏っては変身していく…。まるで言葉のファッションショーを見ているような、そんな気持ちにさせられる一冊であった。

 

ちなみに私はこの本をきちんと読んだことはなく、持ってもいない。高校生の頃から書店で見かけては、手が出なかった。単行本に慣れていない私にとって手に取りにくい値段であったし、99通りものヴァリエーションをきちんと咀嚼できる勇気がなかった。このようにしてことば遊びの世界に飛び込む機会を今までに何度逃しただろうか。

 

小学生の頃、中学生の頃、本を手にとっては「これを読むにはまだ早いかな」「もういいかな」なんて思っていた。まだ、からもう、の境界線っていつなんだろう。気付かないうちにいくつもの境界線をやり過ごし、「まだ読んでない」に変わっていった本が今までに何冊あっただろうか。

 

今朝、数年ぶりに通っていた小学校に足を運び、人生で初めて選挙で投票してきた。投票日の翌日に20歳誕生日を迎える者までが投票券を手にすることができると聞いたから、きっと投票者の中で私が最年少だったのだなと思うとなんだか不思議な気分だった。久しぶりの小学校のにおい。昭和の卒業生による、フェルトで作った額縁入りのチューリップの絵の作品。全てがなつかしかった。

 

そろそろ大人になってしまうのかもしれない。境界線を何度やり過ごしてしまっても、本は何も言わずに私を待っていてくれる。そろそろ「文体練習」を手に取って、部屋で読んでみるのもいいかもしれない。