母の日に考える、安心感をくれるもの

「きちんと」物心がついたのは高校生のころ、数年前のような気がする。そのときから私にとってとても嬉しいほめ言葉は「安心感」だった。一緒にいて安心感がある、とか顔を見てるだけで安心する、なんて言われると悪い気がしない。

では、私にとって「安心感」をくれるものは何だろう、と考えてみるときっと母性なのだ。

ぱっと言葉が浮かんでみたものの、母性本能なんて言葉もあるので調べてみると「母性」は包みこむもの、そしてその対極にある「父性」とは道徳性や理想を提示していくものらしい。(ただし一概には言えない)

自分にとって母親以外で最も母性が感じられるものは何だろう、と考えてみると絵本だった。

生まれてから家族がプレゼントしてくれた絵本は数百冊にのぼり、それらは私の部屋に幼い頃から数か所にある本棚に静かに私の成長を見守っている。もはや「ばあや」みたいなものだった。

小学校にあがる前は眠る前、親がよく読み聞かせをしてくれていた。ある日祖母から譲ってもらった、歩数に応じてキャラクターが育つ類の万歩計を振って歩数をかせぎながら父に読み聞かせしてもらっていたところ、なんでそんなことをしながら聞くんだと叱られたことを覚えている。それから年長さんにもなると、ひらがなが読めるようになってくる。絵を見せてもらっているのに字を追いかけてしまっては、「お母さんまだページをめくらないのかな、早く読み終わらないかな」とそわそわしていた。

そんなほろ苦いエピソードもふくめて、絵本とすごす時間は私にとって大切なものだったみたいだ。

昨日長野県の野尻湖近くにある「黒姫童話館」に行ってきた。見渡すかぎり絵本が並ぶコーナーに、「モモ」が有名なエンデの展示…共に訪れた大学の研究室のメンバーも幼い頃から絵本に親しんだ人が多く、「これ読んだことある?」「あーすごく好きだった!」と過去の記憶を共有し、なんだか不思議な気分になった。

文体が古めかしかったり、絵がなんともいえないあたたかさに満ちていたりと、ぶ厚くなく文字数も少ないながらに絵本は記憶に残る、とても存在感のあるものだ。外に出て世界を広げていく前に、人は絵本で内なる世界を広げていくのかなと思う。そしてそれはやっぱり安心感のあるものだった。

「安心感」をキーワードに今、大学での勉強を続けているのかもしれないとときどき思う。現在音楽科の学生としてクラシックコンサートの企画や運営に取り組んでいる。最近は様々な見方が生まれ、クラシックコンサートの領域もホールにとどまっているわけではない。しかしお馴染みのホールコンサートの目線で見てみると、お客さまはやはり安心感(癒し、心が満たされるひとときなど)、そしてその安心感の中での「刺激」を求めて来場されるように思う。きっと私もそんな刺激が好きなんだろうな。

安心感を求められる側には、信頼性や責任感がともに必要となる。そんなことを思い、絵本がいっぱいの黒姫童話館から出てみると、世の中のお母さんたちもそうだし、研究室で活躍する先輩方にも頼もしい母性のようなものを感じた。

今日は私の母にとって20回目の母の日だった。黒姫童話館のショップで出会った、いわさきちひろさんの「母の日」という絵のポストカードを贈った。いつもよりもなんだか色々なことを考え、母ってすごいんだなと思う母の日になった。母は私がそんなことを思っているなんてきっと知らないと思うけれど。