熱い男たちの関係① バケモノの子

新しい映画は突然観たくなる。
ビリギャル、イニシエーション・ラブ、シンデレラ、海街diary…映画館に訪れるたびに大画面で予告を観る機会があった「バケモノの子」。ミスチルの大ファンで、舞台好きの友人が誘ってくれて先週末に観に行ってきた。

細田守監督の映画をスクリーンで観るのははじめて。映画の公開に合わせて3週連続金曜ロードショー細田守監督の作品を放送しているのは観たり観なかったりだった。(録画するのをつい忘れてしまうのだ)

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この世界には、人間の世界とは別に、もう1つの世界がある。バケモノの世界だ。人間界【渋谷】とバケモノ界【渋天街(じゅうてんがい)】。交わるはずのない2つの世界に生きる、ひとりぼっちの少年とひとりぼっちのバケモノ。
ある日、バケモノ・熊徹に出会った少年は強さを求め、バケモノの世界へ行くことを決意した。少年は熊徹の弟子となり、九太という新しい名前を授けられる。
当初はことあるごとに、ぶつかり合う2人だったが、奇妙な共同生活と修行の日々を重ねることで互いに成長し、いつしか、まるで本当の親子のような絆が芽生え始める。
少年が逞しい青年となったある日。偶然にも、【渋天街】から【渋谷】へ戻った九太は、高校生の少女・楓と出会う。新しい世界や価値観を教えてくれる楓との出会いによって、九太は自身が本当に生きるべき世界を模索し始めるのだった。
そんな時、人間とバケモノの2つの世界を巻き込んだ大事件が勃発する。みんなを救うために、自分にできることは何なのか?熊徹と九太、そして楓。それぞれに決断のときが訪れる―
あらすじをまとめるのが難しかったので、映画公式サイトから引用させて頂いた。(「バケモノの子」公式サイト

…いやー、泣かせにくる。

熊徹や九太のちょっとした表情やひとことに心を震わされるたび、両耳の奥がぶるぶるとした。隣に座る友人は観るのが2回目だと言っていたけど、顔をハンカチで覆ってスンスンと鼻を鳴らしていた。

熊徹とそのライバル・猪王山のお互いが培った強さをぶつけ合う決闘シーンではその激しさに思わず自分の腕を力いっぱい握りしめた。

バケモノの世界では、人間には心に闇を持っていて、そこにつけこむと取り返しのつかないことになるという。そしてその闇もまた、力を持っていて、強さの1つなのだ。

熊徹と九太、ふたりの関係は師匠と弟子からほんものの親子のようになっていた。その間にあった熱い気持ちは「認めること」だったのか、それとも「認めないこと」だったのか。

熊徹だけではない。九太を見守る人物(バケ物?)はほかにもたくさんいた。強さってなんだろう、どこから来るんだろうと考えた。

大ヒット上映中、まだ公開から1ヶ月経っていないのでしばらくはまだやっているだろう。ネタバレにしたくないのであまり詳しいことは書けなかったが、汗や涙と一緒に夏らしくない気持ちが流れていくような、すっきりできる作品だった。


昨晩NHKの番組「プロフェッショナル」で、細田守監督に300日密着した特集の回が放送された。「バケモノの子」の裏側が知りたくて、録画して観た。

番組スタッフのために冷房をつけたりアメを差し出したり、映画のスタッフに頭を下げるのも忘れなかったり…と細田監督は気遣いを自然にしていた。「人間の世界」と「バケモノの世界」、ふたつの世界を行き来する複雑な設定なのにもかかわらず登場人物の状況や心情がわかりやすかったが、それは観客をも気遣う監督の性格があらわれていると思った。

子どもの頃から周囲に溶け込めず、スタジオジブリに落ち、宮崎駿さんから与えられた企画にも失敗(「ハウルの動く城」は細田監督の作品になっていたかもしれなかったのだ)。このようにして「だめ監督」の烙印を押されても、細田監督はあきらめなかった。

仕事人間だった父を持った細田監督は、親子らしいぶつかり合いをすることがままならぬまま父を亡くしてしまった。「おおかみ子どもの雨と雪」のあとに長男が生まれたこと、スタジオジブリがアニメ制作を休止したこともあって、「バケモノの子」はいろいろな面での「父」を意識して作った作品になった。生前では心を通い合わすことを果たせなかった細田監督の父へ、この作品の完成は最高の昇華になったことだろう。

映画は「人生捨てたもんじゃない」ということ、「人生ってもっと楽しいのかもよ」ということを大声で主張する、と細田監督は話す。そしてそれを作れるのは自分を含めたくすぶった人間だ、とも。

絶望を経験し、その味を知る監督だからこそ描けるさわやかさや熱さがあった。

あー、テストもレポートもひと通り終えた解放感の中観に行ったけれど、その順番が逆だったらもっと頑張れたかも…なんて少し悔しくなってしまうくらい、熱かった。