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最終回に辿りつくまえ

それに触れる前と後とでは世界が違って見える、というのが名作の条件だと思っている
…という書き出しから始まる、雑誌「an・an」の連載コラム「柚木麻子のドラマななめ読み!」。私が目にしたのは、先月最終回を終えた月9「恋仲」について書かれたものだった。

柚木さんの言う「名作の条件」にぴたりと当てはまるのは同誌で連載を持つ山内マリコさんのデビュー作「ここは退屈迎えに来て」。

(私も偶然昨年末に読んでいた)

柚木さんはここから月9ドラマを「都会と地元、光と影の変遷史」を添えて見方を変えていく。

ロングバケーション」を代表とする、かつての夏の月9は主人公の背景は曖昧にされ、

すべては都会で起き、故郷は後ろに置いていくもの、結ばれた二人は手に手をとって未来に走っていくものだった。

しかし「プロポーズ大作戦」以降、登場人物の目指す場所は未来から過去に変わっていく。「恋仲」も第1話がほとんど登場人物たちの地元・富山で撮影されていた。(幼馴染み相手との恋のやり直し、と柚木さんは表現していて、ふたりを取り巻く人々もほとんどが富山から上京して現在を過ごしている…)

柚木さんはこう見ている。

このご時世、もう誰も、あるかないかわからない出会いや絵空事みたいな大成功になんて貴重な時間を使えない。地に足のついたやり方で着実に確実に、できるだけ他人も自分も傷つけないやり方で身の丈にあった幸せを手に入れたい。
それが消極的だとか保守的だとか、誰も批判できないだろう。そもそも、昔から続いている人間関係の中でやりぬくには忍耐や高いコミュニケーション能力が要求される。
都心にしてはわりと広い部屋に住み、満足な暮らしをしているように見える葵(福士蒼汰)が現状の自分を認めていないのはこういう理由があったからなのかも、と納得した。

柚木さんはこう結んでいく。

出会い至上主義から卒業した月9が行き着こうとしているのは、おそらくは「思いやり」だ。何かを切り捨て何かを掴むという関係から、身近な誰かの立場を慮り、助け合うということに変わっていく気がする。(中略) 物語の中で傷つく人数がどんどん減少していく傾向にあるのだ。

悪者が傷つかない、仲間になっちゃう…なんていう傾向はほかのジャンルの物語にも当てはまるけれど、力づくで戻らない何かを手に入れるよりも現実と理想(または過去)のギャップを受け入れ、しなやかに生き抜く…そうした柔軟性が表れているのか。

ちなみに私がこのコラムを読んだのはロンドンから帰ってきたばかりで録画を溜めていた頃だったので、コラム自体「まだ葵の恋の行方はわからないが」となっていて嬉しかった。

話題のキャスト・主人公たちは2008年に高校生だったという設定で始まること・北陸新幹線が出てくること・三角関係の変化に目が離せない…ということから、私の周りでもたくさんの人が注目していた月9「恋仲」。こんな見方があったとは。このコラムに出会えてよかった。

週末に、観ていたドラマすべての最終回までを観終わった。「花咲舞が黙ってない」や「エイジハラスメント」には毎回スカッとさせられたし(花咲舞の今回の主題歌「I am hero」ははじめ相馬さんのための歌なのかなと思っていたけれど、最終回を観たら考え直したくなった)、「37.5℃の涙」では病児保育士という職業について知るとともに家族のありかたに考えさせられ、「表参道高校合唱部!」にはすばらしい歌声と高校時代が懐かしくなってしまうような風景に毎回泣かされた。

今まであまりドラマを観てこないほうだったのに、最近どうしてもシーズンごとにいくつも観てしまう。自宅でひとり不定期に開催する「録画まつり」の頻度が増えそうだ。