pray for world

SNS、とくにfacebookトリコロールをめぐって議論が起こっている。

タイムラインに並ぶアイコンはトリコロールカラーで彩られ、ときどきそれに違和感の声をあげる投稿や記事のシェアも見かける。

パリでテロがあったとき、私は15年ぶりのディズニーランドにいた。アトラクションに並んでいるときにfacebookの通知が来ていたので、アプリを起動してみると「無事と報告された友達」という見たこともない内容のものだった。ロンドンで出会った友人ふたりが無事と報告していた。

太陽のような笑顔のマガリ、はにかみ屋のアーノルドの顔を思い浮かべて「とにかく無事でよかった」ととりあえずほっとした。そのときはテロだとは知らず、自然災害かなにかなのかと思っていた。

そのあとアトラクションに並んでいる時間を使ってパリで何が起こったのかを調べていった。そのころ英語学校で一緒だった世界中の友人がアイコンをトリコロールにしていた。

パリのふたりは、facebookを通じて友人に「無事だったよ」と報告してくれた。私も無事を喜ぶ気持ちを表したい、パリのほかの人びとにも祈りが届きますようにと思ったけれどうまい言葉が見つからない。そんなときfacebookのアイコン装飾機能は便利だなと思い、既にアイコンを設定していた人のページから飛んで私も設定した。

しばらくするとトリコロールアイコンの友人が増えていった。普段タイムラインになかなか現れないような人も出てきて心がつながったような気持ちになれる。Instagramでは芸能人たちがピースマークの画像とともに「pray for Paris」と投稿していた。空が暗くなれば世界中の建造物がトリコロールカラーに彩られた。

でももっとしばらくすると、このテロがこれほどまでに衝撃的だったのはフランスが先進国・人びとからの親しみが強い国だったためで、パリでなくても毎日のようにおびやかされている国がある…そういう国の国旗にアイコンを装飾する選択肢はないのか…夏ごろはじまったLGBTへの理解を示すときのこの機能はよかったが、こういう活動は偽善的なのではないか…といったような様々な意見が飛び交うようになった。

言葉がなくてもシンプルな行動で気持ちを示すことができたアイコン装飾機能だったが、個人個人のその気持ちがいかほどのものなのか、どれくらいその問題についてものごとを考えているのかははかることができない。これは落とし穴だった。

子どもっぽいとか、そういうのはファッションなんじゃないかとか、アイコンを見ることで少しでも不快に思う人がいることに耐えられなくて、1日のおわりにアイコンをもとに戻してしまった。ほかに方法があったのかもしれない。

アイコンの装飾について反対意見をとなえる人は共通して、「こうしたらいいのに」という別の案を提供する傾向があってクレバーだなと思った。そうなれば私もアイコンに文字入れでもすればよかったか。

アイコンを戻したら戻したで、なんだか気分が晴れない。反対意見もよくわかったし、アイコンを装飾するという選択は、言葉さえないもののそれぞれ気持ちがこもっているものだろう。私は宙ぶらりんになった。

「pray for Paris」はもちろんのことだけれど、ほかに苦しんでいる国や争いがなくなることを願う人びとのために「pray for world」というのが一番なんじゃないかという意見を読んだ。私は恥ずかしいくらいに世界情勢にたいして詳しくないけれど、これがやっぱりしっくりきた。

難しいことは言えないけれど、今の気持ちを書いておきたくてここに記してみた。