ツンドラモンスーン

果物や野菜の漢字は難しい。
どれもキラキラネームである。
日本人は、面倒なことに楽しみを見出す民族だと思う。(140ページ)
森博嗣さんのエッセイを久しぶりに読む。

森博嗣著「ツンドラモンスーン」

「つぶやきのクリーム」「つぼやきのテリーヌ」「つぼねのカトリーヌ」のエッセイシリーズに続く、「ツンドラモンスーン」である。(読み始めてから気づいたけれど、「つぼねのカトリーヌ」はまだ読んでいなかった。)


森博嗣さんのエッセイは今までブログにも2回登場しているが、いつもなにかほかの話題に絡めての登場だった。それだけエッセイの内容は生活のふとしたことに根ざし、さらっと読めつつ考えさせてくれるものだということだ。

シャーロック・ホームズの冒険」というよりは、「シャーロック・ホームズと冒険」ではないか。(危険を冒して冒険しているのは、シャーロック・ホームズに推理されている犯人の方だから。27ページ)
「天才」を描く時の限界は、読者の理解力である。天才と凡人の差というのは、主としてクロックの差、メモリィ量の差である。これは、コンピュータの性能と同じだ。(「天才」を描く時の限界は、作家の能力だという見方をされがちなため。40ページ)
「努力」は必要ないが、着実に進めることは大事。毎日一万文字を書けば、十日で小説は書き上がる。もし、毎日一万文字が無理なら、毎日千文字書けば、百日で書き上がる。いずれも、仕事としては同じ価値だ。(私のブログはいつも千文字と少しとかなので、百日続けたら小説1冊分?!167ページ)
(本で得たことについて)それらは、一旦同じ鍋に入ってしまい、煮ているうちに溶けて形がなくなる。そのスープから、新しい創作が生まれるのだが、何がどう影響したのかは本人もわからないし、気にもしていない。(197ページ)
いくつか引用させてもらった。

森博嗣さんは毎日小さなことにも目を留め、それが溜まって組み合わさって新たなアイデアを得るという。その見方の新しさが「すべてがFになる」のようなヒット作のミステリ小説を生んだり、本書のようなするどいエッセイを生んだりするのだ。

昨年末に出たばかりの書き下ろしエッセイなので、今回は非常に最近の社会情勢に即した作品だと感じた。

現代人が求める「気づき」は、
「気づきたい」ことでしかない。
知りたいところだけを見ていたのでは、
変化は読めない。
知りたいことを知ろうとするのは、
知りたくないことがあるから。

関係ないと見えても、実は予測に必要なポイントだったりする。常に全体を俯瞰して、天気図的に捉える視点が必要であり、その状況下における個別の履歴データを蓄積することが、のちにものを言う。(173ページ)
そもそも、「知りたいことを知る」というのは、こちらから問いかけて「そうです」と答えてもらうようなものであって(178ページ)

近年端末でのダウンロード数が伸びている「あなたの知りたいことを学習するニュースアプリ」や、ネットショッピングのサイトを思い出す。

ニュースアプリを開いてトップに出てきた芸能ゴシップや、私が「女性」として登録したからであろう美容の話題が出てきてそれを読めば、次回からはトップページがそんなニュースだらけになる。
ネットショッピングだって、なにかテーマのある本を1冊買ったりチェックしただけで関連商品として似たようなジャンルのものがずらりと表示されてくるのだ。

だからこそ新聞などは読んだほうがいいし、本屋に行って偶然の1冊に出会う機会も大切にしたいと思っている。

それから

知識は無料、発想は有料。
インターネットが普及したこともあって、この頃では「情報は無料」という感覚がみんなの共通認識になりつつある。
あらゆる創作は、本来は有料である。無料にする場合があっても、それは特別なことであって、サービスだったり、宣伝だったり、なんらかの理由がある。

今年になってすぐ、はあちゅうさんが「note」というアプリで配信する有料マガジン「月刊はあちゅう」というものを購読しはじめた。

ネット上の情報をお金で買う、という経験が初めてでちょっと尻込みしたけれど、ここ最近noteで文章を出している著名人が増えてきて(はあちゅうさんは「noteバブル」と呼んでいる)盛り上がってきている。マガジンの中身も、毎日更新されてふつうの雑誌と同じくらい読みごたえがあると見ている。

この経験もあって、森博嗣さんが書くこの見開きのページも合点がいった。知識、つまり情報は無料かもしれないが、発想を有料にするというのはおかしくないことなのかもしれない。(ちなみにこのブログも情報と発想どちらも含めていると思うけれど、今はそれを販売しようとは思っていない。)

そして、

自分を幸せにすれば、
その分、少し社会は幸せになる。
大勢が自分の好きなことのために働けば、
社会は平和で豊かになる。
役に立つことを交換するのが社会の仕組みである。報酬とか感謝とかは、単にその交換を円滑にする媒体に過ぎない。(「役に立ちたい」は、「感謝されたい」ではない。153ページより。)

自己犠牲もときに大事な精神になるけれど、基本は自分が幸せだと思うこと(そのハードルを広げることも大切か)をまっとうして、それが周りに良い影響になり、少しだけでも社会がよくなるということというスタンスで生きていたいと思うのが本音だ。

(書いていて、昨年の元日にニュースになった杏さんと東出さんの結婚の報告の文章…普遍的でささやかな幸せを大事にしつつ、表現者としても社会人としても精進を重ね、そのことがより良き社会への貢献につながるような人間をめざしたいと思っております、というのを思い出した。

考えさせてくれる、深いエッセイではあるが、ひとつの話題がぴったり見開きにおさまってそれが100回分収録されているのだ。さらっと読めてすっきりする。

エッセイも面白いし、(「すべてがFになる」はまだ読んでないけど)本業の(?!)ミステリ小説に関しては表現が洒落ていて、読んでいて気持ちがよい。

「つぼねのカトリーヌ」も読まなくては。
今年も、森博嗣ワールドに浸れそうだ。