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「氷の花火」~山口小夜子~

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ソンブレロ落下す』という文庫の
表紙を古本屋で見たとき、
字体的に昔の本だろうになんだか
写真の女性がやけに今っぽくて
不思議な気持ちがしたのだ。

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いつだったか、SNSを見ていて
ある記事のURLとサムネイルが表示された。


クリックせずにはいられない、強いまなざし。
"70年代に日本人ブームを起こした
世界的モデルがいた" 記事内の女性。
やっぱり時代のふるさを感じさせないのだ。

以前ELLEgirlという雑誌を購読していた、と
書いていたけれど、購読を続けていた理由に
海外都市のおしゃれスナップにときどき
日本人のトップモデルが載っていることが
うれしかったということもある。
ここでTAOさんのファンになった。
そしてほかのページで秋元梢さんを見たとき
「かっこいい」と思ったのだ。

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しばらくは、秋元梢さんよりも前の世代の
黒髪ぱっつん切れ長目の美しい女性…と
70年代に海外に日本人ブームをもたらした
モデルの山口小夜子さん…というのが
一致していなかったけれど、

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成人式の前撮りでお世話になった美容室に
置いてあった映画のチラシを見てぴんときた。

現在全国にじわじわと公開中の
映画「氷の花火」
山口小夜子さんのドキュメンタリー。


新潟市民映画館 シネ・ウインドで
映画を観るのは久しぶり。
ドキュメンタリー映画を見たとき以来。
(過去のブログに感想があった)

4年ぶりのシネ・ウインドの空間は
相変わらず独特で、映画ファンと
市民に愛されている感じが伝わる。
平日の昼間にもかかわらず、
ミドリ色の椅子の3分の2が埋まっている。

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2007年の夏、急性肺炎で亡くなったという
草間彌生さんのドキュメンタリー映画も
手がけた監督・松本貴子さんが
山口小夜子さんの遺品を手がかりに、
彼女のミステリアスな生き様を追う。

同い年のツィギーが
ミニスカートの魅力を発信した10年後、やはり
白人がもてはやされていたファッション界で
切れ長の目、そして黒髪の日本人モデル
山口小夜子さんが登場する。
オーディションには自身で裁縫して作った
服を着て出掛けたという。

他のモデルがおおっぴらに着替える中、
裸を見せずにいつの間にか着替えてしまう。
ランウェイの控え室がごった返す中
小夜子さんは隅で本を読んでいる。
おでこは見せない、演技はできない。
「無になることで服からメッセージを受け取り
歩き方、身のこなし方をランウェイで
実践する」と彼女は話す。
日本人らしい慎ましさを守り、
世界を舞台に活動していた。

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資生堂と14年間契約し、
さまざまな美しい広告塔になる。

小夜子さんは本当はぱっちりとした
まるい目をしているらしい。
カメラの前に立つとき、山口小夜子
クリエイトしてこのような切れ長目になる。

映画には、彼女の人生に関わったり
影響を受けたファッション関係の人々が
インタビューを受けている場面がある。

そのうちのひとりは、小夜子さんの休日は
勉強に充てていたのではないかと話す。

映画を観、本を読み、美術館に行く。
遺品にあったたくさんの本の中で、
寺山修司さんの著書がずらりと
並んでいたのがなかなか印象的だった。

モデルという職業でランウェイを歩く…
歩みにつまずいたとき、声を発する。
踊りがうまれる…

小夜子さんはモデルとしてだけではなく
自らデザインを手がけたり、
踊りや音楽に関わったりと
表現者としてできることを常に探していた。
まるでひとりで生涯をかけて
総合芸術を実践しているようだった。

ひとりで、といっても周りには
彼女を慕い、彼女に惹かれ、
一緒に仕事をしたいという人が沢山いた。

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クールな印象があるけれど、
笑うとこんなにチャーミングなのだ。

その中には若者も多く、小夜子さんはむしろ
晩年にかけては若者と積極的に出会い
新しい表現方法を一緒に模索していた。

45歳(!)でパリコレに復帰したときも
変わらないみずみずしさが彼女から
発されていたのは、彼女のそういう姿勢が
あったからかもしれない。

70年代から00年代まで、
文明はさまざまな面で進化を遂げた。
私の両親が生まれ、私も生まれた。
その中でも変わらない若々しさや美しさを
保ち続けた小夜子さんには霊的なものが
備わっているようにさえ見える。
(実際霊感は強かったそうだ)

変わらないためには、
変化をしなければ
ならないときがある…
ということをいつか私は学んだ。

山口小夜子さんが変わらないように見えたのは
いつも表現者としての成長や変化を
体現していっていたからかもしない。

小夜子さんは自分のことを「小夜子さんはね」
というときがあったという。
これからの自分を見据えるだけではなく、
世間から見た自分を客観視したときに
こういう一人称を使ったとみられている。

彼女の没後、「永遠の小夜子プロジェクト」
と称して彼女に関わりの深かった者が
彼女にもういちど会おうという企画が行われた

衣装担当に、丸山敬太さん。
メイクは、生前の彼女を担当した富川栄さん
など、豪華なメンバーが名を連ねる。
そしてモデルは…

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oggiなどの女性誌で大活躍の
松島花さんだった。
鼻が似ている、ということで選ばれたらしい。
雑誌大好きな私は、松島さんの魅せる表情が
気に入っていたので嬉しかった。

富川さんによるメイクで切れ長目になり、
小夜子さんに似合いそうな衣装を身につけ
トレードマークのぱっつんヘアの
ウィッグをかぶった松島さん。
そのままだとどうしても松島さんに見える。

でもカメラの前に立って
シャッター音を浴びるたびに
どんどん小夜子さんらしくなってゆく…
あるときになってくると
「あれ!小夜子に見える…」
関係者はみな歓声を上げ、涙ぐんでいた。
松島さんも嬉しそうで、私もうるうるした。

美しいということは、苦しいこと…
といつしか小夜子さんは言ったという。
生きることは苦しいことだという教えがある。
そこに彼女の言葉を当てはめると、
美しいということはそのまま、
生きることと繋がっていくのではないか。

なぜモデルになったのか、
ほんとうは物事をどうとらえていたのか…
生存しない人を追うドキュメンタリーでは
そういうことを本人の口から
語られることが不可能なのは残念だ。
でも、彼女が生きたこと、そして
影響を受けた沢山の人がいたことがわかる。

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館内が明るくなると人々が立ち上がる。
「めちゃくちゃきれいだったね」と、
前の席の夫婦が話している。
帰りに受付でパンフレットを買った。
後ろにいた女性が、
「なくなっちゃうと悪いから私も一部」と
パンフレットを手に取っている。

映画で語られた言葉ひとつひとつを、
数時間が経ってしまうとこうして
少しずつ忘れてしまうことが悲しい。
ドキュメンタリーだと
言葉が多くて特にそうだ。

でもパンフレットをときどき開いて
いつまでも少しでもたくさん
思い出していたい映画だった。