つぼねのカトリーヌ

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自分の中にもう少し留めておいても良いのではないか、という言葉を、そして思考を、熟成させることなく表に吐き出してしまう。こうなると、もう最初から他者を意識した言葉、他者を意識した思考しかできなくなる。(89ページ・ひとりで遊べる人は寂しいとは感じない より)

森イズムに今回もドキッとする、
森博嗣著 「つぼねのカトリーヌ」

「つぶやきのクリーム」
「つぼやきのテリーヌ」ときて
「つぼねのカトリーヌ」だ。

言葉遊びのおもしろいこのシリーズは
すべてがFになる」がヒットした
ミステリ作家・森博嗣さんのエッセイを
見開き2ページ×100項目分集めて1冊にし
「クリームシリーズ」と名付けられている。

四作目「ツンドラモンスーン」を
手に取ってからこの三作目、
「つぼねのカトリーヌ」を
読むのを忘れていたことに気づいて
あわてて読むことにしたという運びだ。

(「ツンドラモンスーン」の感想)

森博嗣さん自身もまえがきでふれているが
エッセイではかゆいところに手が届くような
世界の見方が変わるような鋭いことが
書かれているものの、森博嗣さんの思想は
つねづね変化していることも綴られる。

「維持」という言葉が、どうも格好悪く感じてしまうのは成長期の名残りにすぎない。(26ページ)
人に嫌われる覚悟が、人生の活路になることがある。ずっとずっと大事なことは、自分に嫌われないことだ。自分の考えに対して、誠実に行動すること、これは別の言葉にすると「自由」だ。(61ページ)
本を読んでも、自分を知ることはできない。本を読むことでわかるのは、「他者の知」である。(68ページ)
反応することは、自分から発している行為ではない。ブログを毎日書いている人は、今日は何を書くか、という部分で一番頭を使うことになる。(中略)なんとなく、こんなことを書いてみよう、と「思いつける」だろうか。(140ページ)
最近よく眠れるようになった。今でも1日に五、六杯はコーヒーを飲むが、寝る直前にも飲んでいる。文章を書くときには、コーヒーと音楽が必要だ。(147ページ)
森博嗣さんの本を読んでいると頭を使う。
淡々と語られる論理的な言葉には説得力あり。

頭を使うし、頭を使わねばと思う。
森博嗣さんの頭の中には奇跡などなく、
成功の前には入念な準備、それもまた
淡々としたものが積み重なっている。

エッセイ3作目から、あとがきを書く人が
ももち(嗣永桃子さん)じゃなくなった。
大学の教授がつとめている。
3作目も4作目もみな同じ男として
森博嗣さんを尊敬し、羨ましいと
思っていることが文章から伝わってくる。

その自信はどこからくるのか。
きみは、天才なのか。

森博嗣がブレークしないのは、たぶん、僕がブレーキをかけているからだろうと自分で理解している。(127ページ 「目立ちたがり屋ではなく、潜みたがり屋です」より)

その気になれば、「すべてがFになる
のようにもっと様々な人に読まれる作品を
連発させることが出来るのだろう。
しかし森さんは、あえてそうしないようだ。

自分の中にもう少し留めておいても良いのではないか、という言葉を、そして思考を、熟成させることなく表に吐き出してしまう。こうなると、もう最初から他者を意識した言葉、他者を意識した思考しかできなくなる。(89ページ・ひとりで遊べる人は寂しいとは感じない より)

はじめに戻るけれど、こういうことを読むと
ブログを書く頻度も考えてしまう。
でも、熟成させすぎたせいでいままで
あんまり更新できなかったし、
結局習慣化していないとうまく
言葉を出していけないという経験をした。

ブログを毎日書いている人は、今日は何を書くか、という部分で一番頭を使うことになる。(中略)なんとなく、こんなことを書いてみよう、と「思いつける」だろうか。(140ページ)

反応することは、自分から発する
行為ではない。ということで、
なにか思いついてみる。
それをある程度熟成させて…と
やっていくとおもしろそうだ。

ブログの書き方や方向性を
考えさせてくれるような、
そのほかにもまたいろいろと
森博嗣さんの考え方を学べた1冊だった。