寝台急行「昭和」行

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結局、その「愁い」が好きなのか
鉄道そのものが好きなのかは分からないでいる

けれど、通学のために乗った電車の窓際に
いたずら書きされた文字を見て
(電話番号が書いてあったりする)、
新しくなってしまった駅舎を見て、
そのまま見過ごせる気持ちにはなれない。


関川夏央 著 『寝台急行「昭和」行』

2か月ほど積ん読してあったものを読む。

鉄道旅行を通して現代に「昭和」を
見ようとしていることを本書に記録している。

自分は、すぎてしまった時代を無意識のうちに汽車に見ようとしているのだ、と気づく。私の場合、それは昭和三十年代の日本と、その記憶である。ささやかな時間旅行の感覚も、汽車旅の魅力だといえる。

関川さんは「鉄ちゃん」「鉄子」に関しても述べているけれど、自分がそう呼ばれるのはいやみたいだ。「鉄ちゃん」「鉄子」にも時刻表テツ・駅テツ・乗りテツ・撮りテツなど色々いるけれど、関川さんはこの本を読むかぎり乗りテツなんだなと思う。

それから剣道や弓道、書道や茶道と同じくして「鉄道」もありなのではないかとも思えてくる。

鉄道趣味には、人のことはいえないが、どこかかたくなさの印象が付帯する。求道性、といいかえてもいい。なにしろ用もないのに乗るのである。そして、いわゆる観光などいっさいせず、ただ乗るばかりで帰ってくるのである。求道性というと聞こえはよいが、徒労や虚無感と紙一重の関係にある。

寝台列車「昭和」行』では、日本の昭和とともにあった電車についてだけでなく、同じく愁いを誘う海外の電車についても述べている。

オリエント急行殺人事件」も「東京物語」も鉄道の映画だから、もれなく関川さんはそれらについても触れている。どちらも私が積ん読していた間に観た映画だったから嬉しい。



幸田文は「鉄子」だった、ということも書いてある。しかし彼女は鉄道そのものにでなく、機関車で働く男たちの合理的な動き…そこに色っぽさを感じ取ったのだという。文を書く人のセンスに舌をまくばかりだ。

この本は関川さんが2004年〜2009年に乗った日本の電車の旅をベースに書かれている。タイトルの通り、寝台列車も登場する。

北海道新幹線が開通して、とうとうことし3月26日、日本最後の定期運行する寝台列車はまなす」が終了した。寝台列車があくせく動いていた時代が遠い昔になるのももう、時間の問題になってしまった。

2009年というとすぐ前のことだと思ってしまうのに、寝台列車の有り無しでこんなに引き離された気持ちになってしまう。

高校生のころ憧れて「大学生になったら乗るんだ」と思っていた「ムーンライトえちご」も、そして「はまなす」も乗らないうちに姿を消してしまった。

『寝台急行「昭和」行』を読んでいると、ただひたすらに生きたこともない昭和が懐かしくなる。


(冒頭は写真は箱根登山電車の車窓から)