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夏のポケットに、おまけして

夏が近づくと、

ますます書店に立ち寄るのが

楽しくなる理由がある。

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新潮文庫に角川文庫、集英社文庫…出版社が夏におすすめする文庫がたくさん載った小冊子が置かれるからだ。読める本は今より少なくても、小学生の頃からそれを眺めるのが好きだった。

 

夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』といった名作は夏の読書フェアとタイアップして装丁が凝ったものが発売される。小冊子に載っている本を購入すると、その場で特製のしおりやブックカバーがもらえる。読書の秋、とも言うけれど夏の読書にはゆかいなおまけがいっぱいついているのだ。

 

小冊子に載っている本の定番でも、ずっと「もっと大人の人が読むもんだ」と思ってきた本がある。その中には、村山由佳さんの本も含まれていた。

 

天使の卵』がシリーズものになっていたということは、書店で「天使の柩ー天使シリーズ最終章」というポップを見て知ったばかり。『天使の柩』は単行本で数年前に発売していたそうで、最近文庫化したために書店に平積みされている。『天使の卵』と『天使の柩』の間には『天使の梯子』があったこともようやく知った。

 

そんなわけで、ここ1週間は「天使シリーズ」にどっぷりと浸かっていた。なんとなく同じ作家の作品を続けて読むことは偏ってしまいそうで今まで避けていたけれど、なんとなく浸かってしまったのだから仕方ない。

 

まず、「天使シリーズ」で語られる人物たちは人間的な魅力にあふれた人々ばかりだと思った。「笑うと右のほっぺただけにえくぼが刻まれて、なかなか愛嬌のある顔になる」一本槍歩太のお母さん。「柔らかいアルトのその声と、はにかんだような独特の話し方を聞いていると、体じゅうの細胞のひとつひとつに水分が行きわたって膨らむような気がする」五堂春妃。「大きいわけではないのにとてもよく通る、一度聞いたらちょっと忘れられない声。色っぽさと清々しさが奇跡的に同居した、まるで表と裏にベルベットと麻を縫いあわせたみたいな低めの声」を持つ、五堂春妃の妹・斎藤夏姫。「いったいどうして、何をやってもああ自信に満ちていられるんだろう。壁に絵を描いていた時もそうだ。誰かと話をする時も、運転する時も、何よりあの秋の日、街路樹の下で夏姫さんと向かい合って座っていた時もそうだった。ただそこにいるだけで静かに完結しているーそんなふうな、実年齢には不釣り合いなくらいの落ち着きが、やつにはごく自然に備わっているのだ」と『天使の梯子』の主人公・慎一に思わせてしまう、一本槍歩太。

 

天使の卵』の主人公・一本槍歩太は芸大志望の浪人生、『天使の梯子』の主人公・古幡慎一は大学生、『天使の柩』の主人公・茉莉は中学2年生の14歳。正確にいうと、3作それぞれの主人公から語られるほかの登場人物がとても魅力的だったのだ(そして、主人公3人はそれぞれ若すぎて自分らの魅力に気付いてはいない)。

 

1993年に『天使の卵』が発売して『天使の柩』の単行本が2013年に書かれるまで20年、様々な層の読者に愛されてきた作品だと思う。(『卵』は映画化されていたので、早速観た。)私のようにすべて一度にまとめて読んだ人もいるだろうし、2冊を読んでしまった後に『柩』を心待ちにしていた人も、『卵』からリアルタイムで物語に寄り添ってきた人もたくさんいるだろう。だからそれぞれに感じ方は違うかもしれないけれど、一見純愛ものに思わせてしっかりと哲学的で、私がちょうど今読みたいと思っていた種類の小説だった。

 

 

けれどそれは、彼女のせいで手もとがおろそかになるというたぐいの恋ではなかった。かえって彼女と釣り合うだけの人間になるように、すべてのことに対して積極的に、真摯に取り組むようになる、そんな種類の恋だった。(『天使の卵』より)

 

 

小さな四角いタイルが並んだ流し台とか、古びて凹んだアルミのやかんとか、そういったものに囲まれながら洗いざらしのふきんで器やお箸を拭いていると、まるで学校を休んだ時たまに観るNHKの朝ドラの中に入り込んだみたいな気がした。どれも古くて質素なものばかりなのに、みすぼらしい感じがしないのは、ひとつひとつのものが大切に使われているからなんだろう。すりへった木べらも、光沢の鈍くなった雪平鍋も、何もかもが清潔で、使う人から愛されている感じがする。(『天使の柩』より)

 

 

 

人生の中でどれだけ物事を深く考えてきたかは、人間の顔にはっきりと表れる。あたしはそのことを、歩太さんとその周囲に集まる人たちを見て知った。(中略)性格がどうだって、頭が良くなくったって、その人なりの精一杯で、一つひとつの物事と向きあおうとしていれば、目の奥にはちゃんと思索の灯が点る。(『天使の柩』より)

そんな付け焼き刃で何がどう変わるかは分からない。だけど、何もしないでいるよりはマシな顔になれるんじゃないか。(『天使の柩』より)

 

 

『卵』も『梯子』も『柩』も、主人公たちは皆年齢に対しては大人びた考え方をしていたし、賢かった。好きでそうなったわけではなかった。彼らよりも断然人に甘えられるような環境で育ったのに、彼らの気持ちに共感してしまえるのはなぜだろう。きっとそこがこのシリーズが20年続いていった秘密なのかもしれない。

 

伝えたいことがあるのに、分かり合いたいと思うのに、その相手はもう自分の声の届かないところにいる…残された人はどうやってその傷を癒して、どうやってその悲しみから救われるのか。考えて考えてそれでも生きていく…その姿を見ている人がきっといる。また何年か経って、そっと本棚から取り出して読み返したいと思うシリーズだった。

 

今は手元に「ナツイチ」のフェアでもらったみつばちのしおりが2個ある。

読書の秋、ならぬ読書の夏が今年もはじまる。