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読みかけの本となぞりかけの場所

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乗っていたバスでうとうとしていた。
ここらしくもなく、今日はいつもの身体のまわりをべたつく湿った風が吹いているかわりに涼しい風が吹いていて、セミの声があんまり似合わなかった。

目が覚めたら耳の中をイヤホンから流れていった音楽は消えていて、私はどこでバスを降りようか迷った。停留所が近づいて、行きたいところがあったのを思い出してあわてて降車ボタンを押した。

バスを降りても風はそのままだった。

「行きたいところ」へは行ったことはなかったけれど場所は知っていたので、そこに向かって歩いた。その途中で、その場所は私じゃなくて、もとは今私が読んでいる本の主人公が行きたがっていた場所だったことに気が付いた。

その本には、
「何かにたいして感情が動いたような気がしても、それってほんとうに自分が思っていることなのかどうか、自分でもよくわからないのよ。いつか誰かが書き記した、それが文章じゃなくてもね、映画の台詞でも表情でもなんでもいいんだけど、とにかく他人のものを引用しているような気持ちになるの」
というせりふがあった。
でもいったんその場所のことを考えたらなんだかこのまま足をそこに向けていけば楽しいことがある気がして、本の主人公の気持ちに寄り添うことにした。

本には「喫茶店」としか書いてなかったけれど、私が足を運んだ「喫茶店」と雰囲気が近いものだったんだろうなと勝手に想像する。本に出てきた「喫茶店」は主人公ともう1人のほかにお客さんはいないことが多くて、若い女の人かおじさんが注文を取りにくる。

私が足を運んだ「喫茶店」は、厨房(?)からおじさんがこちらのようすをうかがい、若い女の人が注文を取りに来てくれた。黒いエプロンをして黒いタイツをはき、髪の毛を後ろにちょこんとまとめて清潔感と落ち着きのある女の人だった。満席に近いくらいお客さん(ほとんどが年輩の女性だった)がいるのに、大きな声で世間話をする人が見当たらないせいかとても静かだった。

自分には若い人が行くようなカフェは似合わないから、とそれらしき場所をみな「喫茶店」と呼ぶ人を思い出して、私は私が考える「喫茶店」(カフェではなくて)に前に訪れたのはいつだったかなと考えた。

前の前の記憶は、駅のビルに入っていたコーヒー専門店だった。もう何年も前になる。コーヒーが飲めないのにカフェよりもしずかな場所に行きたくて、カフェよりも値段が高いそのお店で「ウィンナーコーヒー」を頼んだことを思い出した。たしかソファーがふかふかしていた。

注文したカフェモカは、上品な淡い色の花の模様がついたカップに注がれてやってきた。すべて細かい泡で出来ているかのような飲みくちで、今日のさわやかな風みたいな味だと思った。生クリームの上に細く出したチョコレートソースがのっていて、1口ひとくち飲みすすめるたびに複雑なマーブル模様になってゆく。

不思議なリズムのクラシック音楽が流れていたと思ったら今度は演奏会のアンコールで聴いた「アヴェ・マリア」が流れ、ショパンの遺作のノクターンがオーケストラバージョンで流れたと思ったら太田胃散のCMの曲がやっぱりオーケストラバージョンで流れだした。

今読んでいる本の主人公の性格や感じ方に最初はなじめないでいた。主人公にすぐさま感情移入できてしまうような物語を選んで今まで読んでいたんだなあ、とぼんやり思った。そうそう、ぼんやりするところは似ていたかもしれない。似ていたからこそ、相容れないという印象を持ったのかもしれない。

講談社文庫を読むのも思えば久しぶりだった。私は新しい小説を買ったらすぐにカバーを取ってしまって読むので、灰色と白色が斜めに細くストライプになっている講談社文庫の微妙なざらざら具合が懐かしいと思った。たぶん、「今夜すべてのバーで」以来なのだと思う。そう気づいたら、今読んでいる本の主人公は読み進めていくうちになんとなく「今夜すべてのバーで」の主人公と似た嗜好を持ってきて、私はそれが心配だと思ったし、今読んでいる本のタイトルは「すべて真夜中の恋人たち」なので、やっぱり似ていると思った。

このあいだ、友人が「自分と似ている人ほど好きになれないけど、似ているんだと気付いてある程度長くつきあったら好きになったし、うまくやれるようになった」と言っていた。本を読み進めるうちに、私にとっての主人公もそんな感じになってきた。

まだ喫茶店を出ていないし、本も読み終えていない。そういえば読み終えていない本についてブログを書くのはあんまりないかもしれないなあと思った。カフェモカは、下の方にチョコレートの味になったざらめ糖がじょりじょりと入っていて最後まで美味しかった。(私が混ぜ忘れてしまっただけかもしれないけれど)

もう1回、思い出す。

「何かにたいして感情が動いたような気がしても、それってほんとうに自分が思っていることなのかどうか、自分でもよくわからないのよ。いつか誰かが書き記した、それが文章じゃなくてもね、映画の台詞でも表情でもなんでもいいんだけど、とにかく他人のものを引用しているような気持ちになるの」

今読んでいる本も誰かがいつか読んでいるよとなにかで教えてくれたものだし、今いる喫茶店も友人がこのへんに来たときはよく寄るのだと言っていたところだった。

完全になにかを自分で生みだして、それで生きていくというのは時代が進んでいく中でどんどん難しくなる。例えばこの喫茶店ができたときより(たぶん昭和の時代にできたところだと思う)、どうしても情報にまみれている。そうすると思いついたと思ったことも既出だし、いつも誰かのなにかをなぞって生きているという感覚になる。

悲しいし、便利なことだと思う。

本がおもしろいので、
もう少し読み進めてから出よう。
ここはそんな選択も許してくれるような
ゆったりした場所だ。