『沈黙』

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この世界の片隅に』に続いて

ぼうっと観てはいられない作品を。

 

遠藤周作が原作を書いた『沈黙』。

スコセッシ監督がハリウッド映画にして

世界でこの物語が公開されることとなった。

 

ポルトガルの宣教師が、

キリシタンを弾圧する日本の地に踏み入れた。

彼らには、囁かれている

先輩の宣教師がキリスト教を棄教したとの噂の

真相を確かめるという目的があったーー。

 

映画の始まりって、音楽が流れたり

主人公の生活音なんかがしたりするものだけど

『沈黙』はただひたすらに静寂の中、

虫の声、葉が擦れる音がするだけだった。

『沈黙』というそのタイトルの通り

BGMらしいBGMはこの映画に似合わない。

 

『沈黙』というタイトルを監督がどう解釈して

映画を作るのに組み込んだか、

また、物語にとっての「沈黙」は

どのようなことを意味するのか…

一度目でなぞっておわり、ではなかなか

自分の中で考えが解決しない。

スコセッシ監督なりの解釈や、

役者それぞれなりの解釈があって

物語が映画として完成して成り立つように

映画を観る私たちそれぞれも

解釈の仕方があると思った。

 

主人公の宣教師・ロドリゴは、

どんなに祈っても神は答えてくれないと憂う。

島の荒地の上空を飛ぶ鳥を見て

あれもまた神の使い(正しい表現は失念)

だ、と頬をほころばせる。対して

日本ではすべての自然のものが仏だという

考えかたが広まっていて、

BGMのように映画のはじめと終わりを

覆っていた虫の声だって、

アニミズムに基づく演出だったかもしれない。

 

人の心は終始それぞれの思いに燃えており

争点となった信仰自体はそれぞれ

とても静かなものだった。

 

普段生活していて信仰については

なかなか話題にのぼるものではないけれど

スクリーンを見つめる2時間半、

信仰を「自分の信念」や

「なくてはならないもの」なんかに置き換えて

もし自分にとってのそういうものが

自分の暮らす場所や、わかってほしい相手に

受け入れられなかったら…という想像をした。

 

今の日本ではお正月もクリスマスもする。

これは、『沈黙』で描かれていた時代から

どのように変わった結果だろうか。

慣習や習慣が変わっただけで、

人の心はたいして

変わっていないかもしれないし。

 

『沈黙』では日本の俳優が何名も出演した。

特に学年が同じ小松菜奈さんが

この映画に出ているのは感慨深かった。

 

歴史の教科書で見た「踏み絵」が

実際どのように行われていたか…

踏み絵だけでないキリシタンのあぶり出しが

そこに描かれていた。

 

『沈黙』の原作もこれから読んでみようと

思ったし、これをきっかけにして今年は

歴史を描いた小説も読んで見たいと思う。