でこちゃん、ヘルメット、でこちゃん、そして。

 01.髪をイメチェンする

 

と、実は2015年の夢リストに一番に記していた。

参考記事・今年中に叶えたい99のこと - 謎の国のありす 

 

今年も20日経ち、夢リストを見直してみると既に夢が9個叶っている。いい調子だととるか、ひとつひとつに感謝が出来るか、はたまたビギナーズラックととるか、色々な解釈のしがいがある経過のしかただと思う。

 

私の髪はついこの間までワンレンのロングヘアで、毛先にゆるくパーマがかかったものだった。大学で出会った人には想像がつかないとよく言われるけれど、高校入学当時はうなじの上を刈り上げ、耳たぶの少し上で切りそろえたヘルメットのようなわかめちゃんのような髪をしていた。

 

高校二年にあがると、なんだかいつまでもヘルメットかぶっているのもなんだなと思い前髪も一緒に伸ばし始めた。個性的とは何かを、考えなおしていた。

 

周囲と違う部分を人は個性と呼ぶ。周囲と同じ部分は普通か、トレンドの場合もある。幼稚園に入り教育を受けるようになると、人が集まる場所に行けばそこは競争の世界になってしまうんだな、と幼いながらに実感した。学びを印象的、興味深いものにするために競争の仕組みを取り入れることはすばらしい案だとは思う。けれど、私はあまり競争は好きではなかった。その中で個性を持つこと、個性的であることは競争の世界をうまく切り抜けていく術なのかもしれないとも思っていた。

 

幼稚園から小学校卒業までずっとワンレンのロングヘアでいた。ちょうどつい最近までの髪型と同じようだった。成長につれて髪質は変わる。小さい頃からおでこちゃんと言われていたけれど子供っぽいから、中学生になると前髪を作った。思春期がたぶん始まった。悩み事が増えると髪が傷んだ。小学校の高学年からのだめの影響やミュージシャンを見て「ボブへアってなんてアーティスティックなんだろう!」と気になっていた。学ばなきゃいけないことが増えるスピードと心の成長が合わなくなっている自分がいやになって、ある日ボブにした。

 

顎下で切りそろえられた髪、眉下で切りそろえられた前髪は簡潔でとても気持ちのよいものだった。当時はボブの人があまり周りにいなくて、「個性的な髪型だね」と言われていた。いつか悟った、競争の世界を切り抜けていく術が髪型でなされている。今思うと、何かと感受性が必要以上に大きくなりやすくなりがちだった思春期は、ボブに守られていたのかもしれない。

 

「一度短くしちゃうとどんどん切りたくなんない?」と鏡越しに美容師さんが声をかける。「そうですね、刈り上げとかやってみたいです」と私は言った。「わ、マッシュちゃんだ」と出来上がりを見て、美容師さんは笑った。とても満足していたから、これからもう髪を伸ばすことなんてないんだろうな、と思っていた。

 

年末に大掃除をするから新年を心地よく迎えられるように、私にも定期的に何か気持ちを一掃したくなる時が訪れる。悲しいことに私は少し前の自分が嫌いだ、といつも思っていた。髪を切りそろえて、個性的ふうにしている自分が今度はいやになった。

 

そして髪を伸ばし続けて幼少期と同じような髪型になった。深く考えることもなく、争う必要もなく伸び伸びとしていた幼少期が懐かしかったのかもしれない。

 

前髪はくるんとさせて、毛先がすこしくるっとしている髪型は私たちの年頃では定番だ。おでこちゃんはそれに比べると少ないかもしれない。だからといっておでこが個性、という考えはもうしなくなっていた。個性は作るものではなくて、自然とにじみ出るものだと考えるようになったからだ。

 

参考記事・iphone6を買いました。 - 謎の国のありす

 

パーマがかかった、ワンレンのロングヘアは扱いやすかった。それでも先日、久しぶりに美容師さんと鏡越しに会話した。「今回も前髪は伸ばすよね?」「いえ、今回は前髪久しぶりに作ってもらいたいんです」パーマも耳下からぐるぐるとかけなおしてもらった。

 

翌朝、久しぶりの寝ぐせを経験することになる。霧吹きとくしのセット、アイロンを握る感触がなつかしかった。くるんとした前髪が流行する前に伸ばし始めてしまったため、それをつくるテクニックがわからない。とりあえずいい感じにそろえてみる。

 

数年前の私が今の私を目にしたらきっと、没個性的な髪型だねと笑う。どんな心理状態でどんな髪型にしたのか、その当時は分からない。ある程度時が経って振り返ってみると、今日みたいに当時の感情が手に取るように理解できることもある。とりあえず今は久しぶりに埋もれてみたくなったと、言っておこう。

 

たったおでこを隠すだけの前髪を作っただけなのに、気分がちょっと変わった気がする。イメチェンになっただろうか。