はじめて部屋でラジオを聴いた日のこと

夜中に電話のベルで目覚めた、という経験が生まれてこのかたない。まだひとりでは眠れなかった幼い頃は、ベビーベッドから落っこちても全く目覚めなかったほど眠り深かった。自分の部屋を持って、携帯電話を持っても電話で目覚めることはない。機内モードにして眠るからだ。

 

目覚まし時計の電池って、何年くらいもつんだろう。私が6歳の頃から使っているプーさんの目覚まし時計はすぐに時刻がくるってしまう。それなのに、目を閉じて静かな部屋でじっとしていると今もたしかに針は動いている。高校生になってから電池を交換した覚えはない。あまり当てにならないので現在は機内モードにしたiphoneのアラーム機能を使っている。しかし私はなんだかおばけみたいな時計といまでも毎日眠っている。

 

自分の部屋を持ったばかりの小学生の頃、夜にひとりで部屋にいるとよく、まるで世界と今いる部屋が切り離されてしまったような感覚になった。テレビもパソコンも他の生き物もいない部屋だ。時計に目を向けない限り、時がすすんでいくという自覚を持たせられるものがない空間だったからそう思ったんだと思う。

 

何年生の時かは忘れたけれど、お誕生日に祖母からCDプレイヤーをもらった。CDを入れて、かちゃっと閉めるとCDがブーンと回り出す。カセットも再生できた。CDを聴いたところで、夜に訪れる孤独な空間は変わらなかった。音楽は再生されて進むけれど、それはあくまで録音した当時に閉じ込められた時間が何度も繰り返されるものであったからだ。

 

しかしある日、CDプレイヤーにラジオの機能があることを発見する。夜の孤独な空間に、CDに傾いていたつまみをラジオに切り替える。アンテナが立っていないから砂嵐みたいな音がしたけれど、アンテナを伸ばして適当にぐるぐるとしていると音楽が、人の声がした。この部屋も世界と一緒に時を過ごしているんだなと確認できた瞬間だった。ほっとしたけれど、ちょっとさみしいようながっかりしたような気分にもなった。

ちなみにラジオのアンテナは、回しすぎてある日根元から折れてしまった。だから図工の時間に使った金属のワイヤーで棒を作り、モールでしばってアンテナにした。しばらくするとCDも読み込んでくれなくなってしまったので、今は押し入れにいる。

 

現在の私の部屋には携帯電話はもちろん、テレビはないけれどパソコンはある。ラジオが聴ける機能の付いたICレコーダーやネットが使えるタブレット端末もある。ものの10年でこの変化だ。こうしてブログを書いたり人とコミュニケーションをとっていると、切り離されるどころか積極的に世界の時の過ごすさまに参加しているように思える。そういうことにさみしさやがっかりするといった感情も持たなくなった。

 

うっかりイヤホンをさしたまま眠ってしまうことはたびたびあるけれど、それでも未だに機内モードにして部屋の外とのネットワークを切って眠る習慣が続いている。その習慣があるからこそ、起きている時間に様々なことを見聞きして取り入れ、考え、過ごしていくことが楽しいんだと思う。

 

今夜もプーさんの目覚まし時計はおかしな時間を示したままマイペースに時を刻んでいる。