落下する夕方/ふる

餃子の王将の前に来て、待ち切れずに歌い、歌いだした途端、ぴゅうっと冷たい風が吹いたのが、面白かった。
私は知らん顔で横を向き、濡れた傘をさっさとたたむ。あかるい気持ちになっていた。それでも、呼びだされて嬉しかったのだ。雨の日の、店の中の温度、そして湿度。

夏はぎらぎらと輝く太陽の下で、昔ながらの浜茶屋も異国からやってきたおしゃれなビーチテラスもどちらも気にせず楽しめる。

いっぽう冬になるとなんとなく、寒さ厳しいなかに凍てつく干し柿や切干大根から目をそむけて、異国からやってきたあたたかそうな電飾に心奪われる。

昔からこの、季節による心の変わりようが不思議だった。

本にも私は似たようなものを求めるのかもしれない。さむくなる前に、もっといろいろなジャンルの本を読んでおくんだった。

私が秋の季節に求める本は、声に出しても楽しめる文が書いてあるものだ。

西加奈子 著 「ふる」

夏の夜は虫の匂いがする。草と虫と空気のまざりあったような匂い。ひどく子供っぽい匂いだ。
しずくの一つ一つが埃を抱きこんだようにむうっとする雨の夜が、目の前に続いていた。雨は充分につめたく、おおらかに官能的で、しのしのとやさしかった。

江國香織さんの本には短編に載っていた作品や「冷静と情熱のあいだ」で、そのページに散らばるリアルな情景描写(どこかサエている)や主人公らをとりまく匂いの変化に惹かれていた。

今までずっと、自分の意思を伝える前に物事が進んでいた。(中略)望む前に与えられる生活が続き、いつしか花しすは、望むことをやめた。(中略)そしてそれが、子どもらしくない態度であることは幼い花しすにも分かっていた。
「今」は、刻々と動いている。過去の「今」を聞いている「今」も、もうここにはいないのだ。(中略)自分が確かにいた過去の「今」を、少しでもこの「今」に、閉じこめておきたかった。花しすは、速やかに過ぎて行った「今」を、もう一度体感するように、何度も再生ボタンを押した。

西加奈子「ふる」より)

西加奈子さんの本のおもしろいところはさまざまな人が「ふつうの人」として当たり前のように、そこに何か気付いてほしいメッセージがあるふうでもなく書かれているところだ。過去に読んだ作品「さくら」や「あおい」でもそうだった。

ふたりの作家に共通して魅力を感じる理由は、さきほども取り上げたようにぜひ声に出して朗読してみたくなる文がそこここに見受けられるからだ。

登場人物のこまかい気持ちの変化を声で表現するのは難しいけれど、それでもひとりごとのように鼻歌を歌うように、声でなぞってみたくなる文章。こういうのを秋に読みたい。

落下する夕方 (角川文庫)

落下する夕方 (角川文庫)



(あらすじの抜粋:梨果と8年同棲していた健吾が突然家を出た。それと入れかわるように押しかけてきた健吾の新しい恋人・華子と暮らすはめになった梨果は、彼女の不思議な魅力にとりつかれていく。…逃げることも攻めることもできない奇妙な三角関係と、それを愛しきることも憎みきることもできないひとたちの物語。いま 書店に並んでる特別装丁がベビーピンク色でかわいらしい。)

装丁の効果ではじめは発売されたばかりの本なのだと思っていたが、この物語の世界ではメールが存在しなかった。90年代くらいの話のようだった。メールのこと以外、時代の流れによる流行り廃りを感じさせない世界観だった。

ふる (河出文庫)

ふる (河出文庫)


(あらすじの抜粋:池井戸花しす、28歳。職業はアダルトビデオへのモザイクがけ、趣味はICレコーダーでの隠し撮り。いつでも周りの人の癒しでいることを望み、過去を愛おしみ誰の感情を害さないことにひっそり全力を注ぐ毎日。そんな花しすの過去と現在、未来が新しい「今」とつながる奇跡の物語。 「いのちのことが書きたかった」と笑顔を見せる西加奈子さんが載った本の帯に惹かれて手に取った。)

病院などで、自分の名前を呼ばれると、大抵の人は花しすを見たが、今回もそうだった。女の子たちは、雑誌からちらりと顔をあげた。
余談だけれど…
池井戸花しす(いけいど・かしす)さん。この珍しい名前にとても共感して、病院でのエピソードにも「わかるわかる!」とつい身を乗り出して読み進めた。

今を生きるとはどんなことなのか…それこそ物語のクライマックスの時期と合わせて、刻々とさむくなってゆく今読みたい一冊。