成人式の1日

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20歳の顔は、自然の贈り物。
50歳の顔は、あなたの功績。

ココ・シャネルの
この言葉が最近の私のお守りだった。

14歳のときに、成人式はおかっぱ頭で出るのだと決めた。髪を黒くし、クルンとあごの下で毛先を一回転させ、前髪は目の上で切りそろえて。白いほわほわはつけたくなくて、黒と赤の振袖を着てのぞみたかった。

6年も経つと人の好みは変わるものだ。

日本髪がしたくなった。振袖は赤がいいのは変わらなかったけれど、今の私には黒と赤の組み合わせは似合わなかった。赤のほかに鮭色、抹茶色、藤色といった淡みのある日本らしい色あいのものを選んだ。

いつもよりも早起きして美容室へゆき、ぎゅぎゅっとあばらのあたりを締められて和服姿になる。着付け→メイクの順だったから、髪を振り乱してこの格好で歩いているとオバケになった気分だった。

メイクは振袖の色あいにあわせて桃色を基調にした優しげな感じにしてもらった。チークをはたかれながらあたりを見回すと美容室のフロアが同じ歳の女の子たちで埋まっていて不思議な空間だった。

式の会場となった朱鷺メッセは毎年テレビで見るような景色をしていた。スーツ(たまに袴)の男の子と色とりどりの振袖を身につけた女の子たち。私の知り合いはどこにいるんだろう…きょろきょろとしていたら声をかけてもらったりして、意外と会えるものだ。

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成人式って改めてすごい行事だな。
同じところで生まれ育ったおない年の人々が、同じところで一挙に集まるのだ。
もう会えないと思っていた人とだって、いつも一緒のあの子とだって、いつもと違う格好で手を振れるんだー。

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1週間ぶりにこの人たちと再会して(こんどは全員揃った)、式典を共にした。司会をつとめていたのは小学校の同級生で感慨深かった。

式典がすんだあとの数時間はいくさだった。

ちょうど会えた友人とタクシーを乗り合わせ、美容室に戻ってパーティー仕様に急いで装いを変える。和から洋へ、いつもの私に近いものに戻る。あばらのあたりに巻かれたひもをほどくたびに、血液がきちんと身体にめぐってくる感じがしておもしろかった。

既にたくさんの人々が集まっている同窓会に向かう。港と街明かりが見える30階へ、中学校と高校という多感な6年間の時期を一緒に過ごした人々のもとへ。

高校で放送部に所属していたので、同窓会の司会をまかされていた。うまくやるぞぉと意気込んでいたのに、お世話になった先生の名前を間違える。「笑いのハードルを下げてくれたね」とフォローを受ける。

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私は同窓会の運営幹部をやっていた。楽しみたいという思いと、同窓会のために集まった60人余りのみんなが楽しんでもらえるようにという思いでこの数カ月を過ごしてきた。

文化祭の準備なんかとちがって、普段散り散りになって住んでいる人たちと意見を交換しつつなにかを進めていくというのはとても難しいことだった。失敗を繰り返しながら進んできた。どのくらいのプログラムをみんなが求めているかを知るすべもなく、手探りでもあった。同窓会本番は大きなトラブルもなく終わった。

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同窓会にいらしてくれた先生方からの話を聞く時間は久しぶりだった。いつもホームルームの先生の話が長くて電車を逃したな、なんていちいち懐かしくて。

「こんな人になりたい、こんな人生にしたい、などと理想の人間や人生を追いかける人がいる。けれど、生まれ持った個性は変えることができない。だから、その個性をぐんぐんのばして生かした人生を送りなさい。」

私が通っていた中学校を作った先生からのお話。長期休暇になると、たくさん文章を書かせる先生だった。当時の私たちにとってはちょっと大人な文章が書かれた本の感想を書いた。頑張って書いてもいつも評価は低くて、悔しかったことを覚えてる。もしかしたらあの経験が、私にとって今の文章を書いているモチベーションのひとつになっているのかもな。

あのときお世話になった先生方は私たちのことを「生命力あふれる学年」だと呼んでいる。センター試験の日、会場になった大学で雪合戦をした人がいる。教室で焼肉をはじめた人もいたし、図書館の前で誕生日の人を祝うためにクラッカーを鳴らして怒られた。先生に怒られている自分が面白くてまた笑ったりした。そんな日々を過ごしているあいだは恥ずかしいことだらけだったけれど、今思い出してみれば面白くてまた笑えてしまう。みんなに出会えてよかったな。

真夜中よりもたしかに空がうっすらと明るくなるまでみんなと飲み語り明かした。

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何年も前にあった出来事、きっかけさえなければ忘れてしまったようなことほど誰かが覚えている。理由を知らないまま忘れてしまったこととか、あのときの私たちには話せなかったことなんかも話せるようになった。

今になってしまえば楽しいことばかりが思い出される6年間だったけれど、けっこうつらくて悲しいこともたくさんあったんだっけ。そのとき刺さった小さな針をひとつひとつ抜いていくように語った。少しだけさみしく悲しい時間がこれからの私を育ててゆくのかもしれない。

後悔したことと言えば写真をあまり撮らなかったこと。成人式の会場で、「あとでどうせ会うし」と思っていたら同窓会で撮る時間もあまりなかった。それからもっと色々な人と話したかった。それから帰宅した時胃の中が空っぽだったからおにぎりかなんかをもっと食べておけばよかった。あと、それから、両親にありがとうっていう余裕もあればよかった。

振袖を着たりパーティー用のフォーマルな服装をしていたりしているから、という意味だけでなくてみんな美しかった。写真を見返してもそう思う。面影を残しながらみんなたしかに成長していた。高校を卒業して2年が経つけれど、ばらばらになっている間の2年間でそれぞれがそれぞれらしく生きている。

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以前ここに書いたように、中高生のときはとくに自分が美しくないことがとてもコンプレックスになっていた時期があった。14歳のときに人と違う雰囲気で成人式に出ようと思ったのも(おかっぱも赤黒もそんなに奇抜なものではないけれど、その頃の私にとってはそうだったのだ)、そうでもしないと周りに認められないんじゃないかと思ったからだ。

20歳の顔は、自然の贈り物。
50歳の顔は、あなたの功績。

ココ・シャネルのこの言葉に出会って、「今はこれでいいんだな」と気持ちがすっきりした。これからいろいろな経験をして、いろいろな気持ちになって、美しくなっていけばいいんだ。

生まれ育って、中高の6年間を過ごしてなお、この土地に残る意味を必死で探した時期があった。同窓会でみんなに会って、ちょっと腑に落ちた部分がある。

同窓会の幹事長をしてくれた人が、「みんな家族です」と言って会をしめた。これからまた5年後、10年後にも同窓会はあるのだろう。あの人が言いたかったことはここは、帰る場所に近いものだよということなのかもしれない。

6歳で七五三の行事をしたとき、家族が「次に着物を着るのは成人式のときだね。もうお姉さんだよ」なんて言っていた。意外とあっという間にその日が過ぎてしまったのだ。帰り道、ちらちらと雪にまみれながらそんなことをうっすらと思い出しながら、「いい日だったな」と思えた。