ため息、そしてヴァルトシュタイン
映画の雰囲気を盛り上げるのは、
映画のために作られた音楽だけでない。
クラシック音楽を勉強している者にとって、
映画の中でクラシックの楽曲が
存在感をなしていることが嬉しくなる。
レンタルビデオ屋が貼ったクレジットには
「邦画ヒューマンドラマ」とあるのに
使われている言語は英語で、
日本人のキャストはもたいまさこさんだけ。
タイトルもあらすじも風変わりな映画
『トイレット』を観た。
ロケ地がカナダのトロントであるためか、
あちらこちらにフランス映画の空気も漂う。
亡くなった母が残したのは、
バラバラの三兄弟に猫の「センセー」、
そしてもたいまさこさん演じる
「ばーちゃん」だった。
ロボットプラモオタクな次男のレイ、
勝気で生意気な妹のリサ、
引きこもりのピアニストの長男モーリー。
日本人の「ばーちゃん」は英語が通じない。
何も話さずやけに朝のトイレが長い「ばーちゃん」は、トイレから出てくると必ずため息をつく。
言葉は通じても気持ちが通じ合わない兄弟同士、言葉は通じなくとも心で気持ちが伝えられる兄弟それぞれと「ばーちゃん」。「ばーちゃん」の国・日本の驚くべきテクノロジーが鍵をにぎる。
映画で使われるクラシック音楽は、映画の雰囲気や主人公の感情に合わせて楽譜どおりには演奏されないことが多い気がする。『トイレット』でも、「ため息」では大きくしながついていた。 それが嫌味にならないのが、この『トイレット』のさらっとした物語の進み具合にうまくマッチしてるからなのだろうか。
海外旅行をしたり外国の人と話すと、きちんと言葉を使わないと相手に伝わらないということを実感する。それに対して日本は、何も言わなくても表情や空気を読んでなんとかしようとする文化がある。
日本でないところを舞台にして、日本風のコミュニケーションを取ろうとしているところを見ているのが面白い映画だった。
「ばーちゃん」強し。