宛先不明の人を想って

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文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく。寝食を忘れるほど没頭した研究、初めての恋、珠玉の喜嶋語録の数々。学問の深遠さと研究の純粋さを描いて、読む者に深く静かな感動を呼ぶ自伝的小説。

森博嗣 著 『喜嶋先生の静かな世界』


「これを読むにはまだ早いかも」
「ああ、もっと早く読んでおけばよかった」
と思う本は今までに数知れず…
(最近は圧倒的に後者が多い)
でも、この作品は久しぶりに(初めてかも)
「あ、今読んでよかった」と思えた一冊だ。


あまりにも著作物が多く、ミステリはだいたいが4冊ほどのシリーズものになっており、一度浸かったらどっぷりになりそうで怖いのでまだミステリは『ゾラ、一撃、さよなら』しか読んでいない。けれど今までに読破した『つぶやきのクリーム』をはじめとするエッセイでもじゅうぶんに森博嗣さんの独特なキレや世界観が伝わってくる。

作家であり、工学博士である森博嗣さん。文章は論理的で、ご本人の性格も堂々としている。その自信はどこから来るのか?どうしてこういう考え方ができて、人を惹きつける文章が書けるのか。

と、疑問に思っていたところで手に取ったのが自伝的小説といわれる『喜嶋先生の静かな世界』だ。

本の中で中心的に書かれているのは主人公・橋場の大学・大学院生時代。

私はどちらかというと文系の研究を大学でしているし、今のところ大学院に進学することは考えていない。「理系」「大学院」というキーワードは、白組女子と赤組男子みたいに私とは正反対の事柄に思えるので、いくら読みたい本だと思えてもその内容に興味が持てるかは不安だった。

けれど心配はなかった。

意味のわからないものに直面したとき、それを意味のわかるものに変えていくプロセス、それはとても楽しかった。考えて考えて考え抜けば意味が通る解釈がやがて僕に訪れる。そういう経験だった。小さかった僕は、それを神様のご褒美だと考えた。

どちらへ進むべきか迷ったときには、いつも「どちらが王道か」を僕は考えた。それはおおむね、歩くのが難しい方、抵抗が強い方、厳しく辛い道の方だった。困難な方を選んでおけば、絶対に後悔することがない、ということを喜嶋先生は教えてくれたのだ。

義務教育を受けていた頃から、答えが一つのものを導き出すことが求められる教科は私は苦手だった。その苦手意識は、私を「ばりばりの文系」にはめていったのかなと思う。


それでも、科学の前で研究者はみな平等で、それは民主主義に似ていること。すべての情報は公開されていて、誰にでもアクセスできること。大勢が認めないとそれは主流にならないということ。検証していく仕組みがあって、それは思想的なもののように暴走しないということ…。

科学の研究はとても「謙虚」で、魅力があることを主人公・橋場の目線になって理解した。

やりたい研究に思い切り没頭できる大学院で過ごす時間。研究者と1人の成長しゆく人間との間をさまよえるモラトリアム期間。


白組女子は赤組男子にはなり得ないかもしれないけれど、そんな人生も素敵だなと思える。


主人公・橋場の周りには、喜嶋先生の弟子、ゼミの仲間、恋人、学部の他の先生などがいる。橋場がどのようにその人たちそれぞれを見ているかというのも(とくに女性陣に対して)興味深かった。



巻末にある養老孟司さんによる解説に、夏目漱石の『こころ』を連想したという記述がある。私はそこにさらに、「喜嶋先生」というキーワードを絡めてドビュッシーの〈喜びの島〉を連想した。間違ってはいないと思う。


物語の中心に描かれていた時代は、けして現代の話ではない。だから、宛先不明の手紙が戻ってくることも書かれていた。今でいう、メールを送ったら即座にメールセンターから「アドレスが見つかりません」のメールがくるみたいなものか。

もう10年以上も前になるけれど、そういえば私もそういうことがあったなということを思い出した。届かなかった手紙はさみしそうに手元に残っている。転勤したと言ったあとしばらくして姿を消してしまった人。「僕の周囲では特別なことではない」に続く記述を読んで、ちょっと気が楽になった。


自分と共通項の少ない要素で出来た物語だと思って読み始めたけれど、前のめりになって読んでしまったし不覚にも共感できてしまうこともたくさんあった。


好きなことを研究する。
それは幸せなことに見えるけれど…
研究者とは何たるものか、
1ミリでも理解できただろうか。
この作品を読み終えた今、
それが今だということが幸せだと思った。