「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」
(一番下まで読むのはおすすめしません)
2014年、大学に入って初めての夏休み。
初めて1人で乗る新幹線。
ホームにつく前にふと、本を読もうと思い立ち
キオスクに寄って手に取った本。
京都の街並みってきっとこういう色をしているのかな、絵美ってきっとこんな感じでとても美しい女の子なんだろうな…と想像しながらページをめくった。「私はラノベを買ったのだろうか」と思うくらいすらすら読めたけれど、新潟駅を出発して2時間、埼玉あたりで迎えたクライマックスに気付けば涙してしまった。「いやいやいやいや、列車で泣くなんてこまるわぁ」と思って、相席してきていたおじさんに気付かれないようにするのに必死だったことをぼんやり思い出す。
新幹線で読んだ本、ということもあって忘れられない。
「泣ける」「2度読み必須」なんてコピーが付いて回る。口に出すと薄っぺらくなってしまう気がして、今までブログでもこの作品を取り上げることはなかった。
私が手に取ったころ初版だった「ぼく明日」も重版を重ね、ついに映画化された。キャストが発表されたときは小松菜奈さんの映画出演が他でも多数控えていたので、「また小松菜さんかいな」という感想だったけれど、私はずっと楽しみにしていた。
映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』オフィシャルサイト
(あらすじはオフィシャルサイトにて)
「一緒に映画を観に行く機会ナンバーワン」、すっかり映画仲間の友人と一緒にポテトとジュースを買って、スクリーンに向かった。2人とも原作はもちろん読破済み。一緒に観に行った映画で夏ごろから必ず予告編が流れていたので、セリフもかんぺきだった。
上映が始まってしばらくは、登場人物たちが新しい動きをとる度に私たちは顔を見合わせて笑ったり、小声で「やばいやばい」なんて言っていたけれど、後半はお互い黙って、鼻をすんすんやる音に「あ、泣いているな」という気配だけ察し合うだけとなった。
原作にヒロイン・福寿愛美についての詳しい描写はあるけれど、彼女の美しさ(外見も内面も)を体現するのに、小松菜奈さんはぴったりだった。誠実そうな南山高寿も、福士蒼汰さんらしかった。
結末も、「愛美の秘密」も知っていたはずなのに、どうしてこんなに涙が出てくるんだろうってくらいとにかく私はぼろぼろだった。イヤー困った。2人のどちらかに感情移入している可能性もあるけれど、2人を見守る1人の人間として、涙せずにいられない、といった感じだったか。映画を観て涙が出てくるという経験は、べつに泣ける作品でもないよと言われているものでもふとしたことでほろり…というのを含めてけっこうあったけれど、こうもぼろぼろとしてしまったのは他に記憶がない。
エンディングで流れるback numberの「ハッピーエンド」も、映画の内容を反芻しながらしみじみ聴きたい1曲だった。
「秘密」を抱えたこの作品、もう読んだことある・観たことあるという人も多いかもしれないけれど、やっぱりねたばれは書けない。でも、恋愛映画や小説を読むときにありがちな「こうなりたい」という思いを、高寿と愛美2人に向けることはできなかった。(いい意味でね)
行ったことのない京都の街並みがもつ佇まい、そこで大学生活を過ごすということ、そういう想像も膨らませて楽しめる作品だと思う。そしてやっぱり、高寿と愛美2人の気持ちに寄り添いながら、自分だったらどうやってこの「秘密」を乗り越えられるだろう…と余韻に浸りたい作品だ。
普段あまり小説を読まない母も、「ぼく明日?っていう本、気になるから持ってたら貸してくれない?」と声をかけてきた。小説が面白かったから映画を観に行きたいって言い出したらどうしよう。(いい意味でね)
ヒント
小学生の時に学校の図書室で借りて読んだ
SFセレクション・時空の旅。
たしか漫画で描かれていた一篇で、
特殊なバリアのなかにある空間に行ってしまうと
二度とこちらの世界と一緒に流れる時間を
過ごせなくなるという話があった。
愛しあう2人がその空間に行ってしまうという結末。
その空間はこちらの世界から、まるで
透明エレベーターに乗る人を見るように
ふつうに見ることができる。
私はあれを読んでなんだかせつなかった。