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我愛爾にたどりつくまで

「東京百景」をご存知だろうか。芥川賞を受賞し話題となった「火花」の著者、ピースの又吉さんの著書のひとつである。自伝的に100の東京を綴った1冊。大阪出身でもありながら、東京での暮らしを味わう感性の豊かさが詰まっている。

すぐれた作家は自分に固有の場所、土地を持つ。物語というものは、それを生み出す風土に作者が愛着を持っていなければ成り立たない。
こう解説にあるのは、桜木紫乃著の短編集「誰もいない夜に咲く」。桜木さんは「ホテルローヤル」という著書で直木賞を受賞した北海道出身・在住の作家である。

誰もいない夜に咲く (角川文庫)

誰もいない夜に咲く (角川文庫)


「五百円になります」レジスターの向こうで彼女が微笑んでいた。千円札を出せばお釣りをもらわなくてはいけない。今はまだ手が触れることに耐えられそうにもなかった。小銭入れの奥にご百円玉を見つけ、ほっとしながらトレイに載せた。
「後悔でも傷でもいいんです。色鮮やかな記憶がないと、自分が死んだことにも気づかない一生になってしまう」
五月の連休を境に、海辺の町に再び観光客が流れ込んできた。美津江は教室と茶の間の敷物をはり替えることに決めた。家の中を明るくしたいと思ったのと、なにより季節の移り変わりを実感する出来事がほしかった。自分が動かねば何も手に入らない。ひとりとは、そういうことだ。

決して派手ではない、どこか侘しさのある主人公たち。桜木さんの描く物語はいつも、北海道の地で格差社会の現代の隅を生きる人々にフォーカスしている。「ホテルローヤル」もそうだった。

私が住む新潟と北海道の共通点は雪が多いこと。しかし雪質には差があるよう。べたべたと湿った雪が降る新潟に比べ、北海道の雪はサラサラとしているそう。雪に限らず1年を通しての湿気にも同じような差がある。

温度が低く、乾いている。そうした北海道の気候の特徴を背景に人々を溶け込ませ、見守るように桜木さんは物語を紡ぐ。

この世界を生きる厳しさと、生き抜く強さ。そういったことを強いるわけでもなく、避けることもなく冷静に物語が進む。そのなかに潜む優しい一言や小さなあたたかいエピソードにほろりととしてしまう。私の知らなかった日本がそこにあった。

ちょうどこの小説を読んでいるとき、進学を機に北海道へ渡った友人から久しぶりに連絡があった。タイミングの良さが嬉しくて、つい「北海道はどんな?」と質問してしまう。友人の住むところは雪さえ降らなければ過ごしやすいらしい。

高校時代の友人が色々なところへ引っ越していった今、「大学生活の4年間くらい違うところで過ごしたかったかも」と思うことがある。

桜木さんは北海道を離れず執筆している。これからも地元の人々の生活に寄り添った物語を紡いでいくのかもしれない。北海道という地に愛着を持っているのだと思う。

私も「地元を離れたいと思わないの?」と聞かれることがある。土地に強いこだわりを持っていたわけではなかった。それでもとりあえずここに残り続けている今、以前よりも新潟のことを知ろうとしている。

生まれ育った土地のことだから、当たり前だと思っていたことでも移り住んできた人に話せば驚かれる、そんな瞬間がたのしい。

富嶽百景」でもなく「東京百景」でもなく「新潟百景」。既出かもしれないし、芸がないと思われるかもしれないけれど、いつか私も新潟について100を語れるようになってみたい。なんだか百物語みたいだ。

東京百景 (ヨシモトブックス)

東京百景 (ヨシモトブックス)



ホテルローヤル (集英社文庫)

ホテルローヤル (集英社文庫)