今こそ再読!『喜嶋先生の静かな世界』

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  先月、卒業論文を提出した。「ソツロン」というものは厄介なものだと、先輩方が言っていた。それでも私にとってはなんだか憧れの響きであった。卒論発表会も思ったよりあっけなく終わった。これを書いている前の日、卒論要旨録に載せる原稿も書き終わったところだ。


 「ソツロン」という響きからピンと来て、ある本を読み返した。森博嗣さんの『喜嶋先生の静かな世界』だ。尋ねられたことはまだないけれど、もし「大学時代で一番影響を受けた本は?」と尋ねられたら、私はまさにこの本の名前を挙げるだろう。


 今となっては『つぶやきのクリーム』をはじめとするエッセイシリーズに、『スカイ・クロラ』や『すべてがFになる』といったシリーズもののミステリー、質問を投稿したら嬉しいことに掲載のはこびとなった『MORI magazine』など、本棚の2段いっぱいに森博嗣さんの本が並んでしまうほど、読み込んでいる。しかし、『喜嶋先生の静かな世界』を初めて手に取った時は森博嗣さんのミステリーを読んだことはほとんどなかった。それでも、森さんのちょっと自叙伝的なこの作品を読んでみると、たちまち彼が綴る鋭い視点を持った文章を色んなジャンルで読んでみたくなってしまったんだった。ちなみに、どこか遠出をするたびにその土地の書店に寄る。講談社文庫コーナーに森博嗣さんの作品がずらっと並んで品ぞろえがいいと、私はたちまちその土地に住みたくなってしまうようになった。


 『喜嶋先生の静かな世界』は、勉強が嫌いだった主人公・橋場が理系の大学生になり、研究者として成長していく過程と、彼と彼に影響を与えた研究者・喜嶋先生を取り巻く環境の変化が描かれている。

 

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 前もこの作品についてブログに書いたことがある。「文系」「もう卒業間近」となった私にとって、相変わらず「理系」「大学院進学」というキーワードは、「赤組女子」と「白組男子」くらい隔たりがある。つまり、主人公の橋場が研究している内容にはまったく共感できないままでいる。それでもいいのだ。ベストセラーになる本や映画の特徴の一つとして、「共感できる」というのがある。歌詞と音程を知り尽くした歌をカラオケで歌うみたいな気持ちよさがそういう作品にはある。『喜嶋先生の静かな世界』はそうでない。「ブラジルのみなさん、聞こえますかー!」と地面に向かって叫ぶギャグがあるが、どちらかというとあんな感じだ。知らない世界に興味がある。見てみたい。そんな好奇心を刺激してくれる作品だった。


 これも前にブログに書いてしまったけれど、『喜嶋先生の静かな世界』を読んで勉強が好きになった。といっても、中学や高校の頃読んでいたらそうは思えなかったと思う。大学2・3年生という、好きな分野だけに絞って勉強出来るようになる時期に出会えたから、というのが大きい。論文というものに、固有名詞や引用が増えるほど上品とは程遠いものになる。自分が発見したことがきちんと書かれているものがいい。橋場への喜嶋先生からのアドバイスはそのまま私がレポートを書くときの参考になった(しかも、私の指導教授の文章が実際に絶妙に森博嗣さんっぽいんだなー)。そして、「はやく卒論やばいーってヒイヒイ言いたい」という謎の願望も生まれた。


 4年生になって、実際に卒業研究をする時期になった。私が取り組んだのはコンサートの企画と運営。アーティストと、どんなコンセプトで、どんな構成の演奏会を開こうか。どうやってお客さんを呼ぼう。学生だから出来ることってなんだろう。そんなことを春休みからあれこれ考えて、本番のあった夏休みの9月はだいたい学校にいた。卒業研究だけしてればいいという状況でもなかったのでしんどいなあと思うことはあっても、本の中で橋場がそうだったように、楽しかった。もっとも、私は数式を展開したり、タイプライターで打った文字をはさみで切って貼りつけたりするような作業はなかったけれど。それに、橋場が指導教授と計算機センタだけを頼って孤独に研究を続けていたのとは違って、私にはチームで一緒に演奏会を担当してくれた後輩や、卒論としての報告書を一緒に仕上げてくれた同じ研究室の4年生の存在がかなり大きかった。


 卒論発表会の日の帰り、バスの中で、『喜嶋先生の静かな世界』を読み返していた。本の中で橋場は大学院生として研究を続けている。先に社会人となった恋人の清水スピカはたまに遊びに来る。あ、私はもう大学での勉強終わっちゃったんだ。と、すっごくさみしくなってしまった。以前に書いた本の感想の記事も読み返して、もう一回執筆した日に戻ってどんな気持ちでいるのかを体験したくなった。


 大学という場所で、何かを学ぶ。橋場と同じ方向を向いて過ごす時間はもうほとんど残っていない。では、何が残り続けるのか。読書をして、何かを失うなんてことはないはずだ。
 まずはこの言葉。

どちらへ進むべきか迷ったときには、いつも「どちらが王道か」を考えた。それはおおむね、歩くのが難しい方、抵抗が強い方、厳しく辛い道のほうだった。困難な方を選んでおけば、絶対に後悔することがない、ということを喜嶋先生は教えてくれたのだ。


 「学問には王道しかない」というのが喜嶋先生の主張である。学問を人生に置き換えてみれば、それぞれの人間にとって「人生は王道しかない」のかもしれないなと思った。迷ったら困難な方を選ぶ。今までもずうっとそうしてきた!とは胸を張って言えないから、こういう言葉がよく響く。厳しい方を選べばきっとその分傷つくし、もうやだわあと思うこともいっぱいある。それでもいっか。「あのときこうしておけばよかった」と思った経験があるかといえば、今までいっぱいあった。だから『喜嶋先生の静かな世界』を読んで、今度は王道を歩いてみようかと思うのであった。
 ちなみに、前にブログで

義務教育を受けていた頃から、答えが一つのものを導き出すことが求められる教科は私は苦手だった。その苦手意識は、私を「ばりばりの文系」にはめていったのかなと思う。


 なんてことを書いた。あれから2年弱の月日が経った。今でも得意ではない。でも、嫌いではなくなった。この本を読んだら、嫌いでいるのはもったいないなと思ったのだ。どうやって嫌いじゃなくなったかは、また今度、そのうちに。