『コンビニたそがれ堂』

f:id:alicewithdinah:20180210102315j:image
 私の部屋には本棚が合わせて4つある。絵本だけが収納されている机の横の棚に、絵本とちょっとした雑貨が並べてあるエアコンの下の背の高い棚。そして大学生になって新しく増やしたのが、単行本や小さな雑誌を並べる棚と文庫だけの棚だ。


 6歳の頃からこの部屋で暮らしている。そろそろ床が抜けちゃうんじゃないかってくらい、ものが多い。やっぱりその中でも本ってそのウエイトをかなり占めてる。絵本の棚は普段あまり見ないけれど、文庫の棚は増え続ける文庫に膨れ上がりそうなのでたまに点検する。奥行きがある棚が3段。私はそこに、奥と手前に1列ずつ文庫を収納し、計6列としている。手前に収納した1列が3段分、計3列ぶんしかパッと見では収納されていないように見えるのがわが部屋の文庫棚なのである。その、パッと見で見られる部分をSNSにあげたら、「森博嗣多くね」というコメントが来た。友人からだった。おっしゃるとおりである。その友人も読書家なので、彼女のおすすめを聞くことにした。それで教えてもらったのが、村山早紀さんの本である。


 村山早紀さんの『コンビニたそがれ堂』。書店で探したら、私が普段あまり立ちどまらない棚にあった。ほっこりするイラストが印象的な一冊だった。村山さんについて調べてみると、児童文学作家さんであるらしい。(名前を覚えていなかっただけで、村山さんの作品を小学生の頃に読んだことがあるかも!?)どんな物語がこの中につまっているんだろうとわくわくした。


 『コンビニたそがれ堂』は短編集のシリーズものである。その中の一番はじめの巻を手に取ったのである。探し物をしている人だけが行き着ける、すてきなコンビニがどのお話にも出てくる。中でも目を惹いたのが、『桜の声』という短編。主人公はアナウンサーの桜子。街を見渡せるガラス張りのスタジオで、平日お昼のラジオ番組を担当している。スタジオから見える桜の木の前で不思議な体験をするというお話だ。


 私も現在、休日お昼のラジオ番組を担当している。頂いたメッセージを読んで、反応し、リクエスト曲を流す。それだけでなく、『桜の声』の桜子もそうであるように、日々の暮らしが番組につながると思って生活している。そういう癖がついた。何か珍しいものを食べたら…新しい場所に行ってみたら…感動を言葉にして次の担当の時に話そう、という気持ちにすぐになる。桜子みたいな不思議な体験をしたことはないけれど、何気なく手に取ったレコードに50年近くも前のリクエストはがきが挟まっていたり、私の親世代の方から当時のエピソードとともに懐かしめのリクエスト曲を頂いたりする。そんな中で、今までよりいろいろな年代に思いを馳せる時間が増えていく。もうちょっと未来も見たほうがいいんだろうけど。『桜の声』の桜子はその優しい気持ちがつまった声で、街の人の心を包む。彼女の番組のファンもたくさんいる。私も頑張ろう、と気合が入った。


 そして最後に収録されていた『あるテレビの物語』。あるお父さんとお母さんが住む家に、女の子が生まれた。その記念にと迎えられた一台のテレビ。そのテレビが家族を見守るというお話。ホームビデオを撮影したら、テレビにつないで大きな画面でみんなで観る。朝はニュース、夕方はアニメ、夜はドラマや音楽番組…小さい子供がいる家庭にとって特にテレビはありがたい。でも、何年も使ったらそりゃ調子が悪くなる。『あるテレビの物語』はそんな家族の「その先」が描かれていた。


 いつから私は本を手に取るとき、「これはまだ早いかな」と思わなくなったんだろう。気が付くと「もっと難しい本読まなきゃ」と思うようになったし、「最近疲れたから軽めに小説でも読もうか」なんて思うようにもなった。実際に物語を書くにはその土地や登場人物の仕事について、時代考証や専門性が求められる、とも。(とくに最近、テレビドラマがそう)でも、村山早紀さんの書く物語は違った。児童文学がもとになっている作品であり、大人が読みやすいように文章を増やした…とあとがきにあったけれど、専門性や緻密さだけが物語の価値ではないと改めて気が付くことができた。


  細かい描写はなくとも、大切なことは伝わる。むしろ、詳しすぎないからこそダイレクトに伝わってくる。こんなに読みやすく、じんわりとあたたかい気持ちを心の底から生み出させてくれる村山早紀さんの作品。『コンビニたそがれ堂』では通奏低音のように、動物やものなど言葉を発しない対象が、本当は心を持っていてそばにいる人を一生懸命に見守っていることが描かれている。なんだか周りにあるものを1つ1つ大切にしたくなる。村山早紀さんの本を初めて手に取ったけれど、もっともっと読んでみたい。私におすすめしてくれた友人へ、どうもありがとう。