新しい時代を待ちながら読みたい本

20世紀から21世紀へと時が動いたとき、小さかった私が覚えていることといえばテレビで「おかあさんといっしょ」のコンサートの映像を観ていたことくらい。「さようなら20世紀こんにちは21世紀」みたいな詩を、キャラクターやおねえさんたちがステージの上で手をつなぎながら歌っていた。「世紀をゆるがす」時代の移り変わりに、私はのんびりと立ち会ったわけである。

 

そしてまもなく、元号が変わるという。日本では大きなさわぎである。年末、年度末、そして元号末といったというふうに、何かにつけて私はいろいろ振りかえってみたくなるのだが、とりわけ今年は機会が多いな。そんな今日このごろ、知らぬ間に浮きたつ日々に、通勤バスの窓辺で読み返した本がある。

 

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冷静と情熱のあいだ blu』/辻仁成

 

時をとめてしまった街・フィレンツェで、修復士をする20代の男性が、かつての恋人との約束を胸に生活する物語。修復士とは、文字どおり、何百年も前に描かれた絵画の傷みを分析し、洗浄したり色をいれなおしたりして絵画を修復していくという職業である。

 

 

男性の名前は阿形順正。私はかつてこのブログで、「まっすぐそうな人生を歩んでいきそうなところが想像できるようなきれいな名前だ」と評した。まだ読んだことがなかったからそんなことが言えたのだ。しかし物語の中の順正は本人も自覚しているとおり、さっぱり垢抜けない。時代をこえて対話するチャンスにあふれた職業について活躍しているのはすてきだけど、順正はいつまでも過去にしばられて、「30歳の誕生日に、フィレンツェのドゥオモで待ち合わせをする」という約束が忘れられなくて、未来にもしばられていたのだ。

 

だけど、私は彼の行動や思考から目が離せなかった。10年近く前の恋人・あおいとの間に、なにがあったのか。客観的に見て衝動的で子供っぽいとも思える感情が描かれているのに、なぜだか美しい。

 

 

修復士の仕事は、音楽に例えれば、演奏をするという行為に似ていると思う。修復士は、すでに他人によってどんなにまずい修復がされていても、心静かに洗浄作業をし、塗り固められた絵の具を剥いでいくと画家自身が描いた本来の色に再会できる。楽譜をみて演奏するときも、作曲家がその作品を生み出した時代背景を一旦調べたり、楽譜をよく読み込んだりしてみると、作品が誕生したころの響きを再現しやすくなる気がしていた。

 

 

冷静と情熱のあいだ』は、辻仁成さんと江國香織さんというふたりの作家が、それぞれ「順正」「あおい」の視点に立って紡いでいった物語。文庫版は「blu」と「rosso」がそれぞれ刊行され、ていて、別々に楽しむことができる。

 

私は本を読むときはつい、主人公の視点が入れ替わる作品や、アナザーストーリーと呼ばれるものには慎重になってしまう。すべてを語ることなく読者に想像させる要素が物語の魅力であると考えているので、そうした作品はしばしば親切すぎる答えあわせになってしまっていると感じるのだ。

 

しかし、『冷静と情熱のあいだ』は出版社の依頼ではなく、ふたりが集まって話す中で生まれた作品なんだそうだ。「順正」と「あおい」の物語が交互に語られる連載。次はどんな展開になるのだろうと楽しみに待つ時代に、物心もきちんとついた状態で生きてみたかった。

 

江國香織さんが著した「rosso」と併せてこの作品の世界に浸ったのは2回目である。「順正」と「あおい」が約束を交わしたのも、私が初めて読んだのも、20歳のときで学生だった。あれから4年の月日がたち、私は最近24歳の誕生日をむかえた。前回読んだときと、作品の印象はどう変わったか。わかるような、わからないような気がしている。

 

というのも恥ずかしながら、私は物語の結末をすっかり忘れていたのだ。本棚に綺麗に並べられていることに安心して、すっかりその記憶をどこかに吸い取られてしまったんだろうか。4年前に書いたブログによれば、前回は「rosso」「blu」の順で読んだようだ。今回は逆。これから「rosso」を読む予定。いったん忘れてしまったこの名作を、もう一度新しい気持ちで楽しみながら、令和を迎えてみようと思う。

 

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

追記

「順正」はジンセイ(ひとなりともじんせいとも読むのが「blu」を書いた仁成さん)

「あおい」はaoi(「rosso」を書いた香織さんの名前の母音がaoi)

主人公ふたりともいい名前だなと思っていたけれど、著者をもじっていたのかな?