朝にも夜にも向かない映画
私は映画を観ながらときどき考える。
もし1日の中で
この映画を観る時間を選ぶことが出来たら
朝・昼・夜、いつにしよう?
「怒り、1枚お願いします」
「上映が始まっていますがよろしいですか」
「かまいません。お願いします」
傘を畳みながら、スクリーンに駆け込む。いつも予告編を堪能するために10分前アナウンスがかかったらすぐに入場するようにしている。映画に遅刻するのはたぶん初めての経験だった。
渡辺謙が、眉をひそめて夜の歓楽街で何かを探してる。そのシーンが私の「怒り」のはじまりだった。渡辺謙が壁1枚の向こうの物音が聞こえるような薄い扉をあけるとそこにはぐったりとうつ伏せになっている宮崎あおい。にじんだマスカラが瞳の下に沿うように付着していた。
いったい何があってこんなシーンが流れているの。やっぱり遅刻してまで今日、観に来なくてもよかった。最初から観ればよかった。そのうち2回目を観にいくことになるかもしれないな、と思って腰をおろす。
"愛した人は、殺人犯なのか?"
という言葉が予告編で流れていた。
信じた人、じゃないところがみそなのか。
残虐な夏の日の殺人事件の犯人を疑われているのは、突然ふらりとそれぞれの街に溶け込んだ綾野剛・森山未來・松山ケンイチの3人。犯人は1人しかいないから、3人のうち2人は事件に関係ない。映画のあと、私はいったい途中で誰を疑っていたのか、すっかり忘れてしまった。
信じて絶望を見る人も、疑って絶望を見る人もいる…というツイートを映画を観る前に読んだ。そのときはどういうこと?と思ったけれど、エンドロールの黒い余白を見つめているうちにその意味がはっきりとわかった。
ひどいことがたくさん、登場人物たちの身に起こった。私は沖縄の美しい海の景色が、美しいちいさな離島が、あんなに地獄に見えたのは初めてだった。愛する人と住んでいた部屋があんなにもの悲しい場所になっていくさまも。私が劇中の誰を疑っていたかを忘れてしまったように、私はなんとなく、つらい目に遭った登場人物たちもあの日々のことはきっと思い出せなくなるんじゃないかと思った。
言葉で言い表せないくらいつらい思いをしているときとはそういうものだと思っているから。
とにかく、役名を覚えられないくらい観ていて私もつらかった。あんなに泣き叫ぶ宮崎あおいと広瀬すずは初めて見たし、びっくりした。朝にも夜にも、このぽっかりした気持ちには向かない映画だったと思う。
最初は冒頭が知りたいから2回目も観に行けばいいや……と思っていたけれど、きっとまた誰を疑っていたか忘れるかもしれない。この映画がどこか遠い国やファンタジーの世界で起こることではなく、今からまさに自分の身にも起こるかもしれないことを描いていた。これがリアルだ、とは言いきれないけれど。
逃亡中の殺人犯の部屋からチラシや窓にたくさんの字を書いていたのが見つかったシーンがあった。駅員にきれる客(タイムリーな話題)、店にいた失礼な客、キモい。ウケる。「なんでもかんでも書かないと済まないんだな」という警察の言葉。妙にドキッとさせられる。
何年か経って映画がDVDになったら、もう1度目を開けて見つめたい映画だった。