わずらわしきもの

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夏や冬は、春や秋よりもトラディショナルな部分を重んじているように見える。

なにかの和音が夏や冬のはっきりとした音で出来ているならば、春や秋のような音はどちらかというと経過音なんだろう(ちょっと音楽科の学生っぽいことを言ってみたかったのだ)。

夕方のバイパスを走る車に流れるラジオはことさらにクリスマスソングを流している。映画の中のクリスマス、というテーマがしゃれていた。いつもさびしい景色はイルミネーションがちかちかとまぶしい。ショッピングモールに入ればそれぞれの店が競うようにクリスマスシーズンらしく装飾されていて、活気がある。

クリスマスが終わったら正月だ、スキーだ。夏は海に行こう。いつの時代も夏と冬の風物詩はこうしてすぐに言い当てられる。

それでもこうして伝統的な季節の習慣にひたっていると、昔との違いを感じてはわびしい気持ちになる。

今年はどうも、そういう気分になる。
私の住むところにも、そういう気分にさせるスイッチがいたるところにあると言ってもいい。

先日閉店してしまったコンビニの前を通ったら、看板や光やたくさんの商品がなくなってはだかにされた建物が、ぼうっと外灯に照らされてそこにあった。空っぽの病室を思わせるようでかなしかった。駅前のサイゼリヤも、年内に閉店してしまうらしい。

平日の夕方のショッピングモールはさみしい。日曜日に祖母の手を引かれて歩いた床の模様がそのままだ。タイルの線を踏まないように歩いていた。

老舗のマクドナルドの看板におさめられているカタカナの文字が、時代に取り残されたような感じがしてもの悲しい。新しい店舗はマックカフェと書かれていたり、しゃれた形をした看板が遠くから走ってくる車の客を迎えている。

品ぞろえのあまりよくない書店で夜行列車について書かれた本を眺める。「夜行列車は絶滅してゆく」と著者はなげく。かつては列車が動き出すと車内のものもホームに残されたものもいつまでも手を振り合ったものだった。女性の旅情は、手持ち無沙汰に闇を見つめる姿にあったという。
寝台列車に乗る余裕のない者はボックス席で出会い、列車が目的地に着くと彼らは10年来の友だちのようにして別れていった。
私がこうして大学生になって、気軽に旅が出来る齢になる前につぎつぎと夜行列車が姿を消していってしまったことが残念だ。

春に観た映画「イニシエーション・ラブ」のDVDを観た。二回観るどころか三回観た。

最初に映画館で観た感想はこちら↓

80年代だったからこそ為せたトリックだと人は言う。私もそう思う。

長距離であるほどに凄いスピードで残り度数が減っていく公衆電話にささったテレフォンカード。湿気に弱いカセットテープ。坂道に停車した車はきちんとしてないと勝手に動き出す。ハイレグの水着なんてどうしても着たくないぞ。

DVDについてきたブックレットには、30年前が舞台の映画を撮るための生活用品を準備するのに苦労したとあった。当時の車をコレクターから集め、高速道路のシーンでは現代の車をうつさないようにしなくてはならない。ブーツ型のジョッキ(母の実家ではペンたてとして使われてたかも)も数を揃えるのにドイツから取り寄せた、とか。

文明は進化するから、30年前は今よりも不便なことが多かったのだろう。バブルがはじけたこともあるけれど、こうして今揃えるのが難しいということがそれだけ、人々にとって不便だったから消えていったものたちであるということを物語る。

今日は夕方のニュースで同じく80年代の曲を流しながらかつての新潟のようすを紹介するコーナーを目にした。
海水浴場は人でごった返し、県庁の新庁舎の窓は見学する人でいっぱいだった。古町のアーケードの下には安売りの本がカゴに並べられ、人々はずらりと並んでそれらを物色する。天井から吊るされるからくり時計が時間を知らせる演奏を始めると、人々はみんな集まってきて上を向いてそのようすを眺めていた。今は閑散とした場所になっている。

いろいろなものを見るたびに、こうしてノスタルジーに浸ってしまう。私にとって今年はそんな年なのか。

今の中学生くらいの子たちはメールの問い合わせをしたりしてやきもきしないのかな。時々Twitterで流れてくる、小学生の頃の流行りを象徴するような画像を見るたびになつかしくなる。プリクラはいつの間にか面白さから美しさをとるようになった。
不便でも、今思えばそこが愛しいと思えるもので溢れている。

今わずらわしいと思っているものもいつかはもっと便利になる。それでもそのいつかになったら、またなつかしくなるのではないか。今のうちにわずらわしいと思う気持ちを楽しみたくなる。


(ちなみに最初に載せた写真は、15年ほど前、幼稚園に通っていた頃の私だ。このときから黒い服が好きだったのか。

私はあまり変わらないかもしれないが、ちなみにこの頃はガングロメイクやルーズソックスの女子高生をよくバスで見かけていた。ケータイもあんまり普及していなかった頃だ。)