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ファスト風土って初めて聞く言葉だ。

山内マリ子著「ここは退屈迎えに来て」

 

アラベスクを決めたモノクロ写真の表紙、

「ありふれた地方都市で、どこまでも続く日常を生きる8人の女の子。

居場所を求める繊細な心模様を、クールな筆致で鮮やかに描いた

心潤う連作小説」というあらすじを見て手に取った。

取材を終えた車は夕方のバイパスを走る。大河のようにどこまでもつづく幹線道路、行列をなした車は時折りブレーキランプを一斉に赤く光らせ、道の両サイドにはライトアップされたチェーン店の、巨大看板が延々と連なる。ブックオフハードオフ、(中略)、そしてイオン。こういう景色を”ファスト風土”と呼ぶのだと、須賀さんが教えてくれた。(『私たちがすごかった栄光の話』より) 

 見慣れた景色ばかりがこの本には描かれていた。

そして主人公はまるで数年後の私たちだ。

または私が幼稚園児だった頃の高校生。

 

主人公たちは都会で、自分らのふるさとは田舎だと言う。

本を読んでみて、「”田舎”という概念が変わってきているのかも」と考えた。

ひとむかし前は”田舎”=何もない で説明できた。

かつては田んぼだった場所にチェーン店が立ち並び、

何もなくはなくなった今。

この本に出会う少し前に、ネットの記事で

「何県でもみんな同じような家、同じ店を利用し、何もかもが似通い

服も家具も興味関心も食べ物も同じになるって怖い」と

書かれたものを読んだ。これが現代の”田舎”なのかもしれない。

 

何もない。情報がない。つまらない。

何もないのではなく、何かはある。でも、どこも一緒に思える。

そんな現状が嫌で都会に行きたいと思うのは

時代が変わっても同じ心理になるのかもしれない。

 

短編集の主人公の中にはUターンして”田舎”で暮らす者がいる。

かつては夢や希望でいっぱいだったのに、妥協して

手っ取り早い幸せに走ろうとする者もいる。

 

地元に満足している思春期にとって、東京は、ディズニーランドや原宿のような”観光地”でしかない。地方でつるんでいる人間の日常ってのは、案外、頑丈にできている。

そういう地元の”リア充”にとって、『ここは退屈迎えに来て』という作品は、ちょっとわかりにくいものだと思う。 

 と精神科医の熊代亨さんは解説で語る。

 

ここでピンとくるものがあった。

いつか旅の醍醐味は旅先での人との出会いであろうという記事を書いた。

 

豊かさってなんだろう?(いい夫婦の日に、地震に揺られながら。) - 謎の国のありす

 

何もなくとも人がいれば楽しい。

私の住む新潟県も、本で「ファスト風土」と呼ばれている場所がいくつかある。

描写のとおり、チェーン店が集合住宅のごとく立ち並ぶ。

店舗の大きさが結構あるので、車での移動が必須になる。

まるで車で歩く商店街みたいだなと思っている。

何もなくはない。全部揃う。ただ没個性的で退屈なのだ、と熊代亨さん。

自由だけどアイデンティティが与えられるような居場所を作りにくい。

ただそこにあるモノからはアイデンティティの意味を見出しづらい。

そこでひとひねりあるお店や催し物が人気を呼ぶのかなと思う。

 

中学や高校では制服を着る。学校の中で、にとどまらず

ありふれたものに囲まれ、皆が似たような暮らしをするという「制服」。

その中でこそ人との関わりの中で個性というものが現れ得るかもしれない。

 

iphone6を買いました。 - 謎の国のありす

 以前似たようなことを書いていた。

 

結局は旅も暮らしも「人次第」で様変わりするのではないか。

ものを揃えることに躍起になるのではなく、きらりと何か光るなにか。

そこにしかない、その人にしかないなにかが必要なんだな。

 

町おこしや地域活性化が盛んだし大学の課題でも求められる。

そういうものたちもそこにしかないなにかを見つけ出したり

そこに住む人にしかないなにかを輝かせることを

目的として取り組まれたら面白いだろうな。

 

もう年末になってきた。

本の主人公たちはたいていふるさとのことが好きじゃない。

もうすぐ高校時代の友人たちが帰省してくる。

嬉しいことに私の周りの人々はふるさとを好いている人が多い。

「こういうところに住んでたな」と懐かしめるかもしれない。

ぜひ友人たちにもすすめたい一冊だと感じた。

 

 

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)