『うつくしい人』『漁港の肉子ちゃん』

f:id:alicewithdinah:20180209141637j:image

 

   好きなブックカフェがある。しいんとしていて、陽気な音楽が流れている。壁一面の本。こっくりとしたラテ。そのそばには、うす茶色の角砂糖がコップに入って置かれる。そこで私は本を読んだり、こうして文章を書いたり、考えごとをしたり、メールを作ったりする。そして帰りがけに一冊、本を借りる。先日、手に取った一冊を見て店主さんが「これもぜひ」と持たせてくれた。鞄は重いが、心は軽い。

  西加奈子さんの書く小説は今までにも何冊か読んできた。人は一人一人違うんだということを改めて見せつけられる描写の数々。その中にも「わかる、わかる」と身を乗り出してしまうような安心感がある。読み終わると、それまで心に溜まっていた澱みがデトックスされて、生命力があふれてくる感じ。つい癖になってしまう。なんだか西さんの本ばっかり読んでしまいそうで、怖いくらいに。西さんの本を読んでいる時期に授業でレポートの提出を求められたら、文体に影響を受けてしまいそうなくらいに。

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 

 

alicewithdinah.hatenablog.com

 



  そんな西加奈子さんの書く、『うつくしい人』そして『漁港の肉子ちゃん』。この二冊もまた、最高のデトックス本だった。『うつくしい人』は、他人の目を気にして生きてきた女性が東京を飛び出し、滞在する離島のリゾートホテルでの出会いをきっかけに心をほぐしていくお話。物語の中の「現在」として描かれる方に年齢が近いのに、私にとってリアルに突き刺さってくるのは主人公の女性が中学・高校生の頃の心情であった。

  そして『漁港の肉子ちゃん』。こちらを、ブックカフェの店主さんに「これもぜひ」と持たせていただいたのだ。『うつくしい人』をすぐに読み終えたあと、より分厚いこの一冊を手に取って読み始めた。38歳の母、「肉子ちゃん」こと菊子。主人公は小学五年生の「キクりん」こと喜久子。「今までよりも北の国」に移り住んだ親子の物語である。

  「自ら大きいって書いて、臭(くさ)いって読むのやから!」なんて、漢字のつくりについてをはじめ、突拍子もない発言から底抜けに明るい性格がにじむ肉子ちゃんにすぐに惹かれてしまった。たいして、娘・キクりんは冷静である。そんな2人の掛け合いに、私は読みだしてからというもの笑いが止まらなかった。「これは、バスの中で読めないな…」

  読み進めていくと、今までの読書体験と違う心地がしてきた。そのわけは…「自分、靴、何色ら?」「あんた達、ついてくんなてー。」お分かりいただけただろうか。明らかにこれは新潟弁だ。今年になってから、新潟にまつわる本を読むのは3回目である。『それを愛とは呼ばず』、『星がひとつほしいとの祈り』、そして『漁港の肉子ちゃん』。一冊飛ばしで出会ってきた。なんだか改めてふるさとに運命を感じてしまう。いつかブログにも書いたことがあるけれど、西さんの作品には「わざわざ声に出して読みたい文章」が多い。中でも新潟弁がここまで軽妙に書かれていると、我が家で読んでいるのをいいことに、いちいちセリフを声に出して読んでしまった。

 

  小学校高学年の女の子が主人公である作品、ときいてぱっと思いつくのは小学校の図書室にあった本である。タイトルはもう忘れてしまった。当時、同世代のことが書かれているからかなり共感したことは覚えている。でも、『漁港の肉子ちゃん』がその記録を軽々と破ってしまった。クラスの中での立ち位置。女の子たちのささいなすれ違い。これは説教じみた児童向けの物語ではない。西さんが女の子たちのそばにしゃがんで、寄り添ってくれているようなあたたかみがある。

  主人公・キクりんは冷静だけど、優しい女の子だ。年齢にしては大人っぽい。だからこそ悩むこともある。私は小学五年生の当時、こんなに周りのことをよく見て暮らしていなかったなと反省する。そんなキクりんだって、甘えていい。むしろ、甘えていいのは大人も子供も関係ないな。キクりんと肉子ちゃん親子を見守る周りの大人たちだって完璧な人たちじゃなかった。読み始めたときは声を立てて笑っていたのに、クライマックスではほろりと涙してしまった。

  ほかに、文庫化をずっと待っていた西さんの作品に『サラバ!』がある。上・中・下と、三冊にわたって物語が綴られている。きっとこれも分厚さなんて気にしないで、楽しく読めちゃうんだろうな。西さんが生み出す物語って本当に愛しい。